私は、これまで多くのイベントや事業に関わってきましたが、一番難しいことは続けることです。
最初の1、2回は、発案者がそれこそ、死に物狂いで行いますから、まあ、だいたいうまくいきます。そこで、次はこうしよう、この前はこうだったからこうしよう…
そうやって、ブラッシュアップを重ね、よりいいものに仕上がっていきます。
ところが、これが5回以上続いてくると、また、どんどんと悪くなっていきます。
それは、そこに思いがなくなってくるからです。
実は、イベントは、みかけ上の形になってあらわれてくるものの裏側というか、実はみえないところに、その目的が存在します。
地域で行うイベントの多くは、一番は、『その地域が元気になるようにしていこう」という趣旨でやることが多いと思います。
であらわれる表面的な形はさまざまです。歌、踊り、出店…などなど、その形は千差万別ですが、それをやる目的は、そもそも歌を歌うためでもなければ、ものを売るというそのためでもないのですね。
そこには、もっと深い目的がある場合が多いのです。
多くの人が共感よぶものというのは、普遍的なものです。
歌がさほど好きじゃない人も、地域を盛り上げたいという気持ちに共感してくれるから参加したりするんですね。
そこのところが失われると、単なるカラオケ大会になってしまい、それが好きな人しか共感されなくなってくるのです。
年月が長くなると、事業は人から人へ伝承されていき、形ばかりを継承して、なぜそのことが行われなければならないのか、という理由があいまいになります。
もうそうなれば、惰性でしかなくなります。
続けることがだけば目的になってしまうと、もうそうなると、引き受けた人、あるいは引き受けざるを得なかった人にとっては、不幸でしかありません。
だから、事業の形よりもなぜそのことをやらなければならないのかという意味をしっかりと伝える必要があるし、それを育てる必要があるのです。
いま、さまざまな事業やイベントをみていて、多くの事業がその目的が見えなくなっていることで苦しんでいるように思います。
私自身も、多くの組織、多くの事業を引き受けざるを得ない立場になって苦しんでいる部分もあります。
特に創業してきた発案者たるは、そこには大きな責任があって、そこのところはしっかりとみていく必要があります。
以前、社会起業家の木下斉氏が
「地方は儲からない『イベント地獄』で疲弊する」という記事を発信して物議をかもしましたが、私は真のところはそういうことだと理解しています。