今、ハチ北におられる長老たちの中でよわい齢90を超えた方が数名いらっしゃって、昔の話をしてくださいます。
私が、45歳ですから、半世紀先輩ということになります。
先輩のみなさんのお話を聞くと、生きていくために、ムラとしての共同体を形成して、さまざまなことにあたっていったといいます。
よく引き合いに出されるのは、家の屋根替えのことです。
昔はどのうちも茅で屋根をふいているところが多く、1年に2~3軒ぐらいが、その対象の年になっていて、そのときは村総出で屋根をふき替えます。
茅は山に行けばどこにでも生えているものですから、それらを刈り集めてストックしておき、その何年かに一回めぐってくるときに使用します。
風雨にあたり、弱くなった茅を一斉に取り換えるのです。
屋根にのぼって茅を取り付ける人、下から放り投げる人、ムラの男衆が一丸となってコトにあたるわけです。
そして、女衆もできることは手伝い、あるいは、休憩時のお茶の準備、お昼の準備など側面で支えます。
何年かに一回は自分の家もされる立場になるもんですから、違う年に手伝うことは当たり前です。
そうやって、連携をはかりながら、しかも天然資源だから、枯渇することもありません。
だから、今流行りでいうと、サスティナブルな生活が営まれていたのです。
今、わずかながらに唯一の共同作業は、村祭り、道などの草刈り、葬式…そんな感じでしょうか?
50年よりもっと前のことを語ってくれる人がいないので、さらにその前がどうであったのかは想像でしかはかれませんが、おそらく、何百年とそういう共同体の生活を続けてきていたに違いありません。
だから、今の生活スタイルに変わっていった時代の方がそうでなかった時代に比べると圧倒的に短いのです。
今更、その生活に戻すことは難しいでしょうが、それが私はこの山奥で生きていく知恵なのではないか…そんなふうに思います。
だから、困ったことがあれば、それは個人の問題、家族の問題…ではなく、地域全体の問題として、共有すべきなのだろうと思います。
実は、私が住む大笹で、ものすごく大きな末路に今立たされていて、昨日も区長さんと長く話し込みました。
話ただけでなんの解決にもなっていないけど…でも課題を共有し、話あってお互いに知恵を出し合っていくことが、まずは第一歩だと思いまいした。
地域が疲弊していく原因は実のところは、そういう課題を共有しあって自分事にしてしまうということができなくなってしまったからではないのかもしれません。
かつて、他人の家の茅をみんなで吹き替えたときのように、他人のことも自分事としていっしょに解決することが、地方がこれから復活する鍵なのかもしれません。
だって、昔からそうやって地域はなんとか生き延びてきたのですから…。