日曜日、PTAの行事のあと、山登りには時間が足らないし、かといって近くの山にもなんとなく登る気になれなかったので、前から気になっていた三徳山三佛寺投入堂にぶらっと(ってブラッとじゃなかったことは行ってみて後でしることになるわけですが…)寄ってみることにしました。
同じ中国山地にある鳥取の山中にあるところだということは知っていたので、衝動的に行ってしまったわけです。
冒頭の写真は、かの有名な投入堂で、メディアでもたびたび登場する場所で、私もよくこの写真は目にしていました。
険しい場所に建っているということは一目瞭然なのですが、実のところ、なんでみんながそれほどまでに騒ぐのか不思議でなりませんでした。
私が住む鉢伏山も中国山地の一部ですから、そんな感じかなぁとイメージをしていたわけです。
まず、現地について、入場しようとするも、
『ここから先は一人では入場できません。かならず複数の人で登っていください』
と言われてしまい、
『えッ!そんなに厳しいところなの』
と恐怖心をあおられます。
思いつきで一人で来たものですから、入場を許されず、私の後から入場されるグループの方にお願いをして、一緒に登らせていただくことに許可をいただきました。
そこからは、私が経験した登山道の中ではもっとも厳しい部類にはいるぐらいの険しい道でした。
途中、いくつもの崖があり、足を踏み外せば、絶対に命を落としてしまうような場所もいくつもありました。
だいたい、1時間ぐらいでしょうか、ようやく投入堂に到着で、かつて写真で見たあの風景が眼前に広がります。
何度も写真で見た風景だったので、実のところさして驚くことはなかったというのが正直な感想だったのですが、この道のりを歩いて、やっと三徳山投入堂の持つ価値がしみじみと理解できました。
写真で、この道の険しさを伝えたいのですが、おそらくどんなにすぐれた方が写真をとってもそれをつたえることは難しいと思います。
もちろん、1000年以上も前から存在するわけですから、大きさにかかわらず、それ自体がものすごい価値を持っているのしょうが、なぜ人がここに魅了されるのかは、この道中があるからなのだと確信しました。
道中には、地蔵堂、文殊堂、観音堂などのお堂が存在していますが、4m以上もある梁で建てられていて、どう周りを見渡しても、車などが入れるような場所などなく、昔の人がこの修験道を担いで登ってきたのかと思うと、とてつもなく偉業なのだなぁと感心せざるを得ませんでした。
この道は、修験者の修行の道だったそうですが、古の人々から現在に至るまで、ここを登った方々はどんなことを感じていたのでしょうか。
少なくとも、私自身は、強烈な体験となりました。
そこで感じたことは、結果の過程というものがものすごく大事なのだなぁということです。
きっと、三徳山投入堂が、誰もが容易に行ける場所に存在していたならば、いくら1000年を超えるものだったとしても、ここまでの価値を生み出したのだろうかと…思います。
同じような結果であっても、その過程というものがとても大事なのだなぁと改めて気づくことができました。
世の中にはいろんな立場の人がいます。
何かを手に入れるとしても、資金が潤沢にあって容易に手に入れることができる人もいれば、いくら努力しても、それに手が届かない人もいます。
人は、手に入れているものに着目し、そこでその人のすべてを判断しがちですが、その背景はさまざまで、その手に入れるプロセスがどうであったかを理解することが、大事なのだなぁと、私はこの経験でそう感じました。
むしろ、同じ手に入れるのだとしても、安易なものに飛びつかず、イバラの道をあえて選択することも、それはとても価値があることなのだと思いました。
やはり、三徳山は修験の場にふさわしく、何かを感じずにはいられないすばらしい場所でした。
合掌。