こどもたちは、『世界の果てまでイッテQ』が大好きで、欠かさずみているんですが、山好きな私もイモトさんの登山シリーズは大好きで、録画しているやつをときどき拝見します。
イモトさんは、もう完全にバラエティの域を超えて、もうアドベンチャーのドキュメンタリーの世界ですよね。
いつも、登頂までの映像は感動するし、だいたいが、そこが映像のクライマックスに持ってくるように編集しているわけです。
ですが、登山の場合、全行程という観点でいうと、登頂は、全体のちょうど折り返し地点だ、という事実をちょっと見逃しがちです。
もちろん、登るより、下るほうが何倍も早く降りることができますが、だからといって、けっして安全なわけじゃなくて、むしろ下りの方が危険だったりすることも多く決して油断はできないわけです。
さて、モノゴトの終わりというものを、わたしたちは、実はあまり深く考えていないことが多く、多くのプロジェクトは何かができたらそこで終わりだと考えがちです。
遠足に行くと、いつも先生が『おうちの帰るまでが遠足ですよ』って釘をさすのが定型句のようになっていて、
『また同じフレーズだよ…』
て鼻で笑っている人は多いのですが(私も実はその一人だったりするのですが…)
この言葉の意味は実のところはかなり深いなぁと思うわけです。
イベントを開催しても、そのあとには、後片付けやら、支払い、そして、最終的に決算書類をくくり、なおかつ、イベントで浮き彫りになった問題を明らかにして次回以降に引き継ぐなどなど、多肢にわたっていて、山登りと同様イベントという花火をあげてもそれは行程の半分だという認識が今一度必要なのだと思うのです。
但馬が産んだ偉大な冒険家、植村直己さんは、デナリ(マッキンリー)での単独登頂に成功後、下山の途中でいのちをおとして帰らぬ人となっています。
冒険は、そこに達成することも大事だが、生きて帰ってくることはもっと大事なことなんですよね。
最後のところというのは多くの人の目にも触れないし、実に孤独な作業なわけなんですが、やはりモノゴトを成功するにおいては、イベントなどを成功させること以上に大事なことなのかなぁ…
と、今一度自分も、気を引き締めていかねばらならんなぁと思うところです。