哲学の道はなくとも哲学的になれる | ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

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どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。

 

私の自宅の前は『県道茅野福岡線』という名称がついています。

 

『福岡』は、道の駅ハチ北のあるあたりの地名です。で『茅野』というのは、小代区茅野になります。

 

この道名が示すとおり、ハチ北は谷のどんづまりのところあるところですけど、実はそれで終わりではなく、野間峠を超えて、小代と通じているんですね。

 

知識としては知ってはいたけれど、実際に茅野福岡線を行ったことはなかったので、前から気にはなっていました。

 

なので、昨日そこを攻めてみることにしました。

車が通れる道としては、実はハチ北の集落の途中、もっと細かく言うと、『かどや』旅館さんのところで終わっています。そこからは、遊歩道と言ったらいいでしょうか、人しか通れない道になっています。

 

この車社会になって、この道を通る人はほとんどいなくなってしまったと思いますが、山中も道が残っていました。

 

 

ですが、大雨で流されたのでしょう。途中で道もなくなってしまっていて、地図を頼りにこのあたりに道があったのであろうということを想像しながら、茅野までおりてくることができました。

 

私の周辺にある山々をだいたい制覇したのですが、やはり一度通った道ではおもしろくないこともあって、熱田に行ってみたりしながら、自分がいまだとおったことのないルートを開拓するのが、最近の愉しみの一つになりつつあるのですけど、山道を通りながら、さまざまな思いが去来します。

 

昨日は、ふと、高村光太郎の『道程』の一説

 

『僕の前に道はない、僕の後ろに道はできる』

が頭をよぎりました。

 

昔は重機もなかったので、今のような道などがあるわけもなく、人の往来によって、道ができてきます。

 

おそらく、そうやって通った道が雨などにも浸食されるんでしょうね。




 

何十年と使われていないであろう道も、道の形をとどめているんですね。

 

最初にこのルートを開拓したのは、いったいいつ頃の話で、誰がそれをしたんだろう…

 

って想像がふくらみます。

 

 

また、小代の茅野地区に入ったら、集落から1㎞も2㎞も上方に、昔田んぼをしてたであろう場所が出現します。今は杉が生える山となっているのですが、その証拠に、石積みがしてあるんですね。

 

どう考えたって、車では入れない場所です。

 

近くにあった石を集め、ひとつずつ積み上げて狭い土地を有効に利用しようと昔の人が年月を積み重ねてきたんだろうとと想像します。

 

ちなみに、小代の地名の由来は、小さな田んぼという意味だそうですね。

 

上から下ると、茅野の集落まで、小さな谷の両脇に田んぼや畑が続くのですが、車で入れないところはもちろん、集落の近くまでがほとんど荒地になっていて、今の過疎の現状を目の当たりにしています。

 

 

昔、京都の哲学の道に行ったことがあります。特別な何かがあるのかなぁと思って行ったけれど、単なる道で拍子抜けしたことがあります。

 

ですが、人は道を歩いていると、いろいろな思いが頭を駆け巡るんですね。

 

私にとっての哲学の道はこうした昔の人が歩いて往来したであろう峠道なのかもしれません。

 

 

 

『「道程」  高村光太郎

 

僕の前に道はない

僕の後ろに道は出来る

ああ、自然よ

父よ

僕を一人立ちさせた広大な父よ

僕から目を離さないで守る事をせよ

常に父の気魄を僕に充たせよ

この遠い道程のため

この遠い道程のため』