国道9号線に笠波峠という場所があります。
国道9号線は昔の山陰道であり、山陰地方の幹線なわけですが、京都から山口にいたる長い道のりの中でも、もっとも急なところの一つなのだそうです。
笠波峠の北側に宿、日影という地区があって、そこが同じ学校区でした。
私が中学生のころ、そこに住んでいた人は、その南側にある学校に自転車で通学をしていました。
その後学校の統廃合によって、地元の中学校は廃校し、笠波峠より北側にある村岡中学校に通うことになりました。
私の子供も一人お世話になりましたが、いつの頃に、なぜそうなったのかわかりませんが、笠波峠を自転車で通行するのは禁止になり、バス通学になりました。
確かに、私の中学時代は、学校は5㎞ほどしか離れておらず、現在は10㎞に延長したので、通学が大変ということはわからないわけではありません。
しかし、笠波峠から南側にある福岡、黒田は5㎞ほど、わたしが中学時代に通っていたころとそう距離は変わりませんが、彼らもすべてバス通学です。
どういう経緯をたどったのか…学校が禁止したのは事実です。おそらくそこを通行するのは危ないから…ということなのでしょう。
私は、二つの理由で子供には自転車で通ってほしいと思っていました。
一つは、子供たちの移動の自由を担保するということです。自転車通学では坂道を帰るのに、小一時間ぐらいはかかるでしょう。ですがバスに乗る時間は限られていて、乗る便も限られています。自分たちが好きな時間に親などの送り迎えを必要としなくても移動できることは子供たちにとっても親にとってもメリットだと思っていたからです。
もう一つは、自転車通学がもたらす効果です。
自転車通学をすることで、体力づくりや、精神面での強化につながると考えていました。
私は中学、高校時代に、自転車通学をしていました。なので、上記に述べた理由を実感していました。
なので、結局そういう流れに抗うことができずに、実現できなかったことは、自分の力不足だと反省しているのですが、おそらくもっともそれを阻むのが、大切な子供が事故にあったら学校はどう責任をとってくれるんだ!という厳しい親のプレッシャーであったと私はそう思っています。
学校は年々、リスクをとることを極力避ける傾向にあり、それはとりもなおさず、私から言わせると訳の分からん親が多くなってきているからだと思います。
昨日の話の続きになるのですが、笠波峠が危険だとして、彼らが自転車で事故に遭遇した責任が学校にあるとは私は思いません。
そういう事故のリスクをとるのは自分であり、その保護者である親がとるのものです。
しかし、やはりいろいろなリスクを自分以外の何かに押し付けようとしているので、学校をはじめ多くのところが、ならばリスクを負わないもっとも賢い方法=何かを禁止してしまう
という図式になっていると思うのです。
昨日も述べた通り、生きている限りさまざまなリスクがかかってきます。しかし、基本的にはそれはすべて自らが取り除く努力をしていかなくてはいけないのです。
こんな社会になり下がるから、世の中はどんどん生きづらくなっている…
私はそう思わざるをえません。
国会などをみていても、ダメダメ主義で、どうすれば規制を取り除くのかということには、本当に憶病というかナーバスになっているように思います。
これからの社会は、一人ひとりが高い倫理をもって、迷惑にならないよう自分で規制をし、迷惑にならない範囲であれば、どんどんと規制をはずし、自由闊達に生きられる社会をつくっていきたいものです。