昨今、さまざまなアウトドアでの楽しみ方が増えてきました。
グランピングといった楽しみ方もそうですし、アクティビティもさまざまなものが登場しています。
私個人を顧みても、かつてはトレイルランなんてカテゴリーのスポーツはなかったですが、数年前からトレイルランにはまってしまい、年に数レース出場するようになりました。
それと同時に、多くの事故もみられるようになってきています。
ちょっと話はそれますが、私のマチにある自然散策できる遊歩道があるのですが、横は大きく切り立った岩になっていて、5年ほど前、そこの落石によって怪我人が出てしまい、そのことを重く受け止めてしまった行政は、遊歩道を通行止めにしてしまい、それ以降その道はいまだもって再開の見通しがたっていません。
その遊歩道は、地元の人にとってみればずっと慣れ親しんだ道であり、過去をさかのぼっても、頻繁に事故が発生する場所ではないといいます。
しかし、近頃の訴訟などをみると、遊歩道の上からの落石などによって事故死した遺族が、行政を相手どって訴訟をおこし、何千万円かの賠償責任を負わされるような事例もおきています。
遊歩道を管理する行政に対する管理責任を求めています。
自己責任という言葉がありますが、それよりも管理者とか事業者とかそちらに対する責任が負わされるケースが増えているわけです。
また、このような事例が増えてくると、それを知った遺族としては、
『そんな事例があるのなら、自分たちも訴訟をおこして、損害賠償を受けよう』
そんなふうにもなっているように思います。
昔は、アメリカなどは訴訟社会だと、批判めいて言っていることもありましたが、どっこい日本もずいぶんと訴訟社会になってきているように思います。
私自身は、それが現在の社会のありようだと言われても、なんとなく理不尽さというか、納得しがたいものを感じています。
世の中には、さまざまなリスクが存在しているし、特にアウトドアの世界では、そのリスクは相当に高まります。
だからこそ、技術や技能を身に着け、そういったところでも問題にならないような自分自身を磨いていかなければいけないと感じています。
さきの道路管理の問題では、被告側も、落石等は予見できないものであるから、そこに大きな過失はないと反論をしていますが、結局それは通らず、行政は思い責任を負うことになってしまいました。
現在の社会がそのようなものである限りにおいては、『管理する』立場のものはさまざまなリスク低減策を講じなければいけませんが、私はやはり最終的なリスクは『自身が負うべきだI』と考えはいまでも変わりません。
さきの道路の封鎖の問題も、そうやって通行止めをすれば、行政は責任を回避することができます。安心安全な社会を実現する、ということに反論するつもりは毛頭ないのですが、そうやってなんでもかんでも禁止禁止にする世界は、かえって私たちの生活を窮屈なものにしてしまい、それは社会全体の中で大きなロスになっているのではないかと思うのです。
昔は、もっと一人ひとりの責任は重かったように思います。
個人個人が自分のことをしっかりと守っていくという基本を決して忘れてはいけません。