仕事の関係で台湾、高雄を訪れております。
台湾は、これで5回目になるのですが、南部の方は初めてです。
限られた時間の中での旅行ですから、どうしても空港近くのステイになってしまうわけでして、高雄も、やはり大きな都市です。
私の旅の日課は早起きしてマチ歩きならぬマチ走りをすることなのですが、高雄のあちこちも開発、開発と建設ラッシュな感じでして、勢いを感じさせるものでした。
で、走りながら、発展する町でありながら、どことなく野暮ったい感じを受けてしまうのはいったいなんなんだろうかなぁと思っていたのですが、たぶんこれではないかということを発見しました。
それはいわゆるディティールの緻密さというところです。
たとえば、道路の縁石の並べ方だったり、コンクリート打設の継ぎ目みたいなものの精度が全然日本と違うんですね。
日本の場合、コンクリートの打ち継ぎ目一つをとってもものすごく精度が厳しいです。1㎜とか2㎜とかそういう精度を求められるのですが、こちらのは、かなり大雑把な仕上がりになっていました。
もちろん、ものの用途としてはそれでも十分機能するので問題はないとは思うのですが、見た目の美しさなどは日本のとは比べ物になりません。
沿岸部で作られている大きなビルや商業施設などは、おそらく最新のデザインで幾何学的なもののあったりして、おそらく東京などで見られるものと変わりはないと思います。
ですが、それだけではマチの洗練さというのはなしえなくて、細かな積み上げ一つ一つがやはり、日本は洗練されていることに気づきました。
日本の中で土木工事などで『洗練された』という表現を使うことはほとんどありません。
ですが、いわゆる大雑把なモノにくくられがちな土木工事も、日本の技術とか精度というのはとても確かなものなのだなぁと改めて気づかされ自分がそういった仕事に関わっていることに、とても誇らしく思えてきました。
おそらく、これって、その他のあらゆることにも言えると思います。
私たちは、とかく最新のものを追いかけがちです。ですが、洗練されるというのは基本的なことをしっかりと積み上げたうえでのものでなくてはならないし、また逆に尖っていなくてもしっかりと基本さえ押さえられていれば、人の心にはしっかりとはいってくるのではないか…
そんなふうに思いました。