昨日は、宗教儀礼を軽んじてはいけないと思うわけを先人の知恵という観点からお話をさせてもらったわけですが、今日は別の観点で思うところを述べたいと思います。
それは、宗教儀礼と観光は密接に関係しているということ。
京都・奈良が、観光地であることは明らかなわけですが、ではなぜそうなのかということですが、やはり寺社仏閣が多く存在しているということに尽きると思います。
多くのみどころは、宗教施設であり、現在もその宗派の大切な場所として存在しています。
また、先祖に対する供養だとか、神に対する祈りだとか、目的はさまざまですが地域で行われるさまざまな祭りも、多くは宗教儀礼が発展したものです。
宗教があったから、そこは永年にわたり、存在しているし、脈々と続けられているともいえます。
そんな中にあって、今、観光産業は日本の主要産業になりつつありますが、もし宗教と無関係であったとしたら、ここまでの発展を遂げてきたでしょうか?
最近では、さまざまなアクティビティや食などが人気だったりしますが、寺社仏閣は観光における不動に地位にあります。
今後、私たちがさらに観光立国として日本がもりあがっていくのに、そういう主だった宗教施設だけが存在しているだけでは片手落ちのような気がします。
お寺などであれば、檀家さんがいて、そこを御本尊としてあがめているからこそ、そこに魂が宿って、より尊いものとして認識されているわけです。
日本全体が、宗教に無関心であったとしたら、そういう施設に対する重みなどなくなってしまうでしょう。
そして、異なる文化風習があるから、その地に行っておもしろいわけでもあります。
みんなが同じものを食べ、同じものを着て、そんな同質化にだれも興味など示さないでしょう。
これまで脈々と続いてきたものを大事にするということで、結局のところは自分自身にとって何よりも得だと思います。
目先の安易さに流されず、過去からまなびながら未来をつくっていく、まさに、温故知新が求められている時代だと思います。