昨日、公共工事の入札がありました。
県や国などでは、電子入札といって、パソコンから入札するのがほとんどなのですが、香美町の場合は、紙を投函する入札を行っています。
役場の職員の方々が、向こう正面に座り、入札参加者はそれに面を向かい合わせるわけですが、8人ほどいた職員のうち、村岡の人は一人だけであとはほとんどが香住の人でした。
合併した当初、村岡の人以外の役場職員の人が応対すると、少し違和感のようなものを感じたことがありましたが、今は『慣れ』てしまって、まったく気にならないようになってしまいました。
合併をして10年、やはり月日が流れると、自分たちのマインドは以前とは大きく異なってきます。
合併をして一つのマチになったことがようやくなじんできたのだなぁと思う反面、この感情というのは、もしかしたら、ふるさとを思う気持ちも月日が流れてしまうと、なんの違和感も感じなくなってしまうのだろうか
とふと思ってしまいました。
私の弟は、学校を卒業してからずっと大阪に住んでいますが、ときどきは家に帰ってはくるものの、幼少を過ごした地元でいた年月よりも、大阪で暮らしているほうが長くなってしまいました。
本人に聞いたわけではありませんが、自分は『大阪の人間』という気持ちはどっかにあるのかもしれませんね。
ただ、幸い?関西弁を駆使しないので、私としゃべるときはまったくの違和感を感じませんが、私の叔父叔母なども京阪神で暮らしていますが、すっかり関西弁を駆使するので、あたかもそこで生まれ育った人に思えたりもします。
住めば都とは昔から言ったものですが、田舎の人間だけが過剰に『ふるさと』というものを意識しているのかもしれませんね。
普通のひとは、そんなに思っていないものなのかもしれません。
過去にしがみついてばかりで、今が自分たちにとってよりいい場所なのか…
そういうことが普通の人には大事なことなわけですね。