ニュースなどで、ときどき孤独死の話を聞きます。集合住宅などのように、人が同じ場所に暮らしていても、、亡くなったことに周囲の人は気づかず、遺体が白骨化していたなんて話もあったりします。
世の中は以前に比べるとずっと孤独化しやすい社会になってきているような気がします。
働き方改革が叫ばれ、世の中がICTの技術を使って、テレワークができるような環境も整えば整うほどに実は孤独化できる環境を着々と整っているという見方もできるのではないでしょうか。
以前は、仕事をしようと思うと、ヒトと接触する環境があったわけです。そういう場面があったから、その人の存在を認識し、業務的かもしれないけれど会話があった。だから、人は孤独であるという感覚はなかったと思うのです。
農林漁業をやっている人は、別に人と会話してないじゃないか?って思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、田植え田舎りなどは一人でできることも多いけれど、水路の管理とか、けっこう共同でやらないといけないことが多くて、実はけっこう人との接触があったりすんですね。
私自身は、組織を束ねるポジションにありますが、何日も会ったことのない社員もいたりします。そうなってくると、社員にとっては、果たして自分自身がその組織の一員であるという意識を持ち続けることができるのだろうかという疑問もわいてきます。
テレワークな社会だからこそ、これまで以上に『つながっている』という意識が働くような知恵が必要になってくると思うのです。
飲み会ばかりをしているわけにもいきませんが、ときにそういう場面も必要でしょう。
家族でも同様でしょう。
単身赴任の家族も、世の中にはけっこういたりしますが、物理的な距離の中で生きていても家族であるという共同意識をみなさんはどんなふうに持っているのでしょう。
そういえば、余談ですが、先般、ピョンチャンオリンピックが終わったところですが、スローガンが
『passon,conected(情熱つながって)』
だったことを思い出しました。オリンピックのことだけでなく、これからの社会に対するメッセージだと受け取りました。
これからの時代は、それらを強く意識し、行動につなげていくことがマネジメントとしても最もプライオリティの高い業務になっていくような気がしてなりません。