最近、私の中で価値観が変化しているものがあります。
それは『皆勤』についてです。
自分で言うのもなんですが、学生時代、決められた授業に出席することは価値があることだと思って、まじめに授業とか出ていたほうだと思います。ただ、しっかりと受講していたかというとそれはまったくそうではなくて、よく居眠りをしていましたけれど…。
高校のときも、授業の記憶ってほとんどなくて、たぶん、それはひたすら眠りこけていたからだと思います(笑)
『出席する』ということに対して、ある人からすれば、それは当然のことだと思うでしょうが、そうで思われない方も多数いらっしゃることでしょう。
出席しなければ、単位がもらえないという『規則』を作っているところはあるわけですから、出ることは『ねばらないこと』かもしれませんが、それに出ていて、スマホのゲームをやっていたり、居眠りをしてその場をやり過ごしても、まったく意味のないことだということも、ご存知のとおりです。
思うに、昨今の働き方改革では、有給休暇の取得率のことにも言及されるところがあるわけですが、有給休暇取得を阻む要因の一つは、世の中の(特に日本においては…)『皆勤』というものに対する価値感が、根強く残っているからだと思います。
高校、大学進学などで、内申書にも影響があるから出席しておかないと…という話があったりするのは、まさに『皆勤』に対する価値観が重要とされている証拠の一つでもあろうかと思います。
しかし、今、有給取得をとらない会社はブラックだといわれる社会に変わってきました。
会社に長く居座ることが悪と言われるまでになってきたところを考えると、その価値観は変化していることは事実です。
私は『仕事にまじめに取り組む』という姿勢は、絶対的な価値観だと思っていますが、『まじめ』という定義そのものは、ずいぶんと変化してきました。
ではいったい『まじめ』とは何なのかということを突き詰めていくと、それは成果を出すことにコミットメントしているかということです。
いくら毎日出てきても、そこに心なければそれはまじめとはいえません。毎日出てこなくても、常にそこに心を寄せて、最大限の成果を出すように勤めて、そして最終結果を残していけば、それは『まじめ』と評価できると思います。結果を出すためにはプロセスはとても大事ですが、毎日出るというプロセスは、成果を出すための一つの手段であって、それがすべてではないはずです。評価する側もそこのところはしっかりとみなければなりません。
世の中も、目的、成果というものに対してシビアにとらまえる社会に変化してきています。
時代の趨勢をとらまえつつ、結果にコミットメントしてかなければ(どっかで聞いたようなフレーズですね…笑)いけないと思う今日この頃で
す。