まちづくりに、大きいことはよいこと、でよいのだろうか… | ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

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どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。

平成の合併によって、多くの自治体が消滅し、大きなくくりの中に飲み込まれていきました。

 

国は合併によって合理的な行政運営を目指したのでしょうが、長期的には、さらなる合併をしていかないとやっていけないという声を耳にすることもあります。

 

私が住む但馬にあっては、香美町だけではやっていけない…但馬としてやっていくべき…豊岡といっしょになるべきだ…

 

そんな声もすでに聞かれるようになってきています。

 

今の世の中の動きをみていいると、際限なく合併は繰り返されなければやっていけないようなそんな雰囲気を正直に感じるわけですが、住民の意識がかわることがなければ、それは現実のものとして受け入れなくてはならないでしょう。

 

しかし、合併を繰り返せば繰り返すたびに、地域に対するアイデンティティはうしなわれていくこともまた私たちは経験をしています。

 

今の合併にしても、単に大雑把になっただけで、行政サービスはあらゆる面で低下しているように思います。

 

いま、どうすれば、行政などの枠組みを変えずにやっていけるかということを真剣に考え、行動におこしていかなくてはいけません。

 

今、地方創生がしきりに叫ばれているのはそういうことだと認識しています。

 

戦国時代に置き換えればわかりやすいのではないかと思います。

あの当時、他の国に飲み込まれることは、自分の命をも奪われる状況であったわけで、日々生きるか死ぬかのぎりぎりのところでせめぎあっていました。

 

今現代においては、死ぬ生きるはないにしても、大きなところに飲み込まれれば、自分たちの自立して生きることを奪われることになり、それは、死んだも同然です。

 

話が変わりますが、2010年1月JALが経営破綻し、国の支援を受けることになりましたが、その際に、京セラの稲盛さんが、その再建のリーダーに任命されました。

 

稲盛さんがやったことは2つ、京セラフィロソフィーをもとにしたJALフィロソフィーを構築し、それを全社員に徹底させたこと、もう一つはアメーバ経営です。

 

アメーバ経営は、組織を掌握可能ないくつものグループに分け、そのグループ内での仮想の独立採算組織にして、運営をしていくやり方です。(大ざっぱに言ってます)

 

なので、製造業のプロセスには、

材料仕入→加工→組み立て→販売

などのように分けられますが、例えば、材料仕入→加工のプロセスにおいても、お互いに売り買いをするようにして、運営をしていきます。

 

そうやって、一人ひとりが主役(つまりは、その組織内におけるオーナーシップをもたせる)になることで、採算性を飛躍的に向上させることに成功をしました。

 

特に、航空会社などの場合は、あの巨大な塊を空に飛ばすということで、パイロット、整備、客室乗務、地上乗務などなど、多くのスタッフや部署を横断することが多いから、一人ひとりの責任はあいまいになりがちだったのでしょう。

 

ときどき東京に行って、羽田空港で動く何百何千の人たちの動きをみると、よくこんな組織が有機的に機能しているのかなぁと驚かされます。

 

JAL再建が成功したのは、一人ひとりが自分たちの自立して生きるということにほかなりません。

 

これを町にあてはめても同様のことがいえます。

大きくても、他力な生き方では、早番呑み込まれるだけで、自分たちが自立しようという気概をもって生きることだと思います。

 

先日から、たびたび申し上げている学校の合併問題についても本質はいっしょです。

 

今の学校の枠組みでは、こどもの将来が心配だという親御さんのお気持ちはよく理解できます。

学校に一人や二人しかいなかった場合に、こどもは集団の中で果たして溶け込んでいけるのかという心配…確かにわかります。

 

私も、幼、小、中と28名の仲間とクラス替えをすることなく生きてきたので、高校のときに、これまでと慣れてきた集団から離れ、まったく異なる集団に入り込んだ時に、相当不安はありました。

 

ほとんど知り合いのいない中で学ぶというのはとても心細いものでした。

 

だけれど、多くの人数の中で学べば、それで安心ということにはなりません。

 

いずれ社会に出るときは、自らが人生を選択し、誰を頼りにすることなく、大海原に出なければならないからです。

 

私の知り合いがA社に行くので、私もそこで働きます…ということにはなりません。

 

たしかに学校は、生涯にわたるかけがえのない仲間を作る場であることも間違いがありません。

 

私の場合、都合10年共に学んだ28名はかけがえのない友人ではあったけれど、今はそれぞれで自分の人生を歩んでいます。

 

自分の身の回りにあらなに協力できる人たちを日々構築するように努めているので、減ることはあまりありませんが、自分自身の人間関係はいつも変化しています。

 

そう考えると、多くの仲間と学ぶことが大事なのではなく、日々与えられた条件の中でいかに生き抜いていくかを考えていく力もまた重要で、むしろそのほうが大事だったりするわけです。

 

合併はある意味一つの不安材料を減らすモルヒネのような役割だと思います。

 

そこで安住していれば、必ずまた次の合併という問題がもたげてくる。

混迷な時代をいかに生き抜くか…

 

本当の人間力を高めるためにはどうあるべきか、今一度考えていきたいものです。