昔、まだまだ子供が小さかったころ、ちょっとだけゆとりがあったので、経営品質で有名になった某外資系のラグジュアリーブランドのホテルに行ったことがありますが、それからはずいぶんと遠ざかっていて、ホテルに泊るといえば、ビジネス利用ばかりです。
1泊うん10万円とかうん100万円とか、そういうカテゴリーのホテルというものが世の中にあって、いわゆる富裕層の人たちは宿泊というものにどんな喜びを感じているのかを理解することにつながるかもしれないと自己投資的にそこに行きましたが、まったく理解ができていない私は、今はそこから比べるとはるかに金額が低く、数千円、高くても1万ちょっとの宿泊料金を頂戴するビジネスを続けています。
大学生の頃、超円高の日本だったので、国内で合宿するのと相違がないということで、北米のスキーリゾートで合宿をする機会があり、コンドミニアムに2~3週間ステイして過ごした経験があって、スノーリゾートってのはこういうのを言うんだと感心した覚えがあります。
しかし、それ以降スノーリゾートで過ごすという体験はほとんどできていないと思います。
日本におけるスキーの歴史を考えると、リフト30分待ち、一時間待ちというように、誰もがこぞって冬山に行くことを経験し、スノースポーツというある意味高尚な遊びを一般大衆化することには成功したと思いますが、そのときの呪縛から抜けきることができていません。
施設は老朽化し、提供できるものはレンタルスキーと、食堂が少々という感じで、自分たちの休暇を思う存分楽しむというふうにはなっていないのです。
おそらく、もてなす側である私たち自身が、『泊る』ということの本当の意味を理解できていないのだと思います。
よく道がよくなり日帰り圏になったので、泊りが減ってしまったという話を聞きます。
ある意味それは正論だと思うのですが、もっとかみ砕いていうと、お金を出して泊るに値する価値が提供できていないから、たとえ1万円で1泊2食を提供されても泊まらない…
というのがほんとのところです。
以前聞いた話ですと、都会のど真ん中にあるそのラグジュアリーホテルは、すぐそばに住んでいる人でさえも、特別な時間を過ごしたいのであえて、高いお金を払ってそこに泊まる…という人もいるのだとか。
ハチ北がもし、関西圏でもっとも有名なスキー場であるとするなら、宿泊や民宿街自体もそれ以上に魅力のあるものでなければならない…と思う今日この頃です。