数カ月前に、妻がスマホに交換しました。
それまで、かたくなにいわゆるガラケーにしていた彼女曰く
『スマホばっかり見ていて、コミュニケーションもとれなくなるし…』
というのがその理由でした。
数年前に、LINEなどの新しいコミュニケーションツールで便利さを享受していた私は、一生懸命その優位性を説明するのですが、なかなか理解してもらえませんでした。
彼女が尊敬するある人から、スマホをすすめられ、いよいよ堪忍したらしく、スマホに変えからは、
『便利だわー』
を連発して、その恩恵に預かっているようです。
私も、以前所有していたスマホが、電波の受信状況などがいまいちだったため、数日前にあたらしく交換しました。
やはり、最新モデルは、写真の精度とか、さまざまなスペックが向上していて、さらに便利さ加減が増しているように感じます。
彼女が心配していたスマホばっかりみていることによるコミュニケーションの不足…
も、むしろそれらのサービスを利用することで、より密度の濃いコミュニケーションに代わっていっているので、それもどうやら杞憂に終わりまいた。
最近AIスピーカーとか、スマートウォッチとか、スマートグラスとか出始めていて、まだ私自身は使う気はないのですが、いずれそういったものも世の中を席巻し、社会を変え始めると、そういった機器をまた使わなくてはいけない時代が来るのだろうと思います。
人の生活はさらに便利さを増してくることは間違いありません。
この世に生まれてきた限りにおいては、『to better 、より…する』ということはもはや宿命です。
スマートフォンに代表されるIT業界だけの話ではなく、農林水産業も、建設業、工業、サービス業…
あらゆる業界が、いまに満足することなく、常に『to better 』を追い求めなくては、取り残されてしまうのです。
なんとなく、IT機器を駆使することが『to better』なのだと思われがちだけど、ローテクノロジーに生きている私たちも、日々の業務を見直したりすることで、『to better』な社会をつくることは可能だし、今がいいということにとどまっていることは、それはすなわち衰退を意味するものです。
『生きる』ということは、常に新しいものを吸収し、発信し続けること、といい変えることができるかもしれません。