今日の日本経済新聞を読んで感じたこと
人手不足が叫ばれるようになり、それと同時にAIがそれを補ってくれる時代になり、AIを駆使して、少ない人でオペレーションできるような体制を整えてきている…
そんなお話でした。
私の地域でも、人が不足して困っているという話をよく耳にするようになりました。
特に私の周辺は観光関連に携わる人が多くいらっしゃることもあって、そっちの業界もかなり深刻だと話されている経営者の方もいらっしゃいます。
インバウンド時代にも対応できるよう、外国人労働者の受け入れも積極的に行った行くべきといったお話もあります。
おそらく、これからの時代おける経営課題として、いかに人を集めていくのかということは優先事項にあげられるような社会になっていく気がします。
人を集めるための働き方改革を推進していくことももちろん重要だと思います。やはり労働条件が劣悪だと呼ばれるところに人が喜んで飛び込んでいくわけはありません…。
ただ、私自身、こういった時代の中で人が集められるような企業をつくっていくためには、奇をてらったことを繰り出す、といったことももちろんなくはないけれども、人でなければできないことを突き詰めていくことではないか…と思います。
私のメインである建設業界においても、i-construcitonと呼ばれるICTを活用した技術がどんどんと導入されています。
例えば、これまでユンボ(バックホウ)で土を掘ったりするような作業を、あらかじめ規格値を機械に登録させ、自動的にその作業が完了させたり、、またドローンなどで空中撮影したものから、データを取り出したりして、人手を介さなくても測量が完結させたり、多くの技術が目覚ましく発展していおり、どんどんと人を介さなくてもできることが多くなってきています。
自動運転に代表されるように、いわゆる『ドライバー、オペレーター』と呼ばれる機械を動かしていく仕事は今後どんどんと機械にとって代わられていくことになるでしょう。
しかし、人と人とかコミュニケーションをとるところは、もっとも人間が必要とする部分で、つまり人の喜怒哀楽に関する部分においては、やはり人が必要でなければいけないと思うわけです。
例えば、こうありたいと願う気持ちをAIでもある程度推測することは可能でしょう。さまざまなパターンの中から最適だと思う解を見つけ出し、その回答を瞬時に導き出す…そういうこともすでに実現しているわけですが、もし仮に、直接的な解決策が導けなかったとしても、おんなじように泣き笑い、その人の気持ちに寄り添ってあげることは、私は機械では到底解決できないでしょう。
そして、ファジーなどちらともつかないような微妙な感覚というものを推し量っていくことも逆に機械では不可能だと思うのです。
だから、そういう部分を徹底的に磨いていく、つまり人が感情を有する生き物として、より人間らしく生きていくこと…
それこそが人に求められることではないのかなぁとそう思うわけです。
AIj時代だからこそ、人としての喜怒哀楽を磨いていく…
それがこれからの生きる道なのだと私は思います。