私が修行しなかった訳 | ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

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どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。

 

 
私は2代目経営者です。
 
私は、大学を卒業後、しばらくプータロー生活をしていましたが、9月には、父の会社に勤めることになりました。
 
当初、勤め始めて10年ぐらいは
『他人様の飯を食ってこい』
と、たくさんの人から助言をもらいました。
 
しかし、結局のところ他人様のところでお世話になった経験がないため、自分では気づかないところで、社員や、お客様、協力業者の皆さまへの配慮が欠けていたりする部分はあるのだろうと思います。
 
ですので、35歳ぐらいまでは、やはりそういう部分では多少負い目を感じているところがありました。
 
よわい44となり、果たしてそれが正解だったのか、そうでなかったかはわかりません。今となってしまえば、失った年月を取り戻せないので、しかたないじゃん…
 
と開き直っています。
 
ところで、今さまざまなシーンで転職が花盛りです。
終身雇用は崩れ、人は自分のキャリアを磨き、より大きな幸せをつかむために、今の会社にしがみついているわけにはいかない…
そういう時代です。
 
 
ただ、自分が経営者だからそう思うわけですが、経営者は会社を継続していく責任があるので、昨今言われるようなM&Aで他に買い取ってもらったりする以外でいうと、普通は倒産とか廃業とかそういう形でしか会社から離れることはできないものです。
 
そういう意味でいうと、特にいったん中小零細企業の経営者になってしまう道を選択するとサラリーマンに比べるとそこからの職業の選択肢はほとんどありません。
普通はそこから逃げることができなくなるのです。
 
だからとにかく道を切り開き、前に進むしか方法がないのです。
 
私は、父から会社を継ぐようにと言われたことはありませんが、幼少のころから自分のライフプランを考えたときに、父の会社を継ぐことは必然だと思って生きてきました。
 
学生の頃、大学4年になり、周りが就職活動に明け暮れている姿をみて、特に強い意志もなく、少しだけ就職活動をしました。
そして、ある会社からは内定ももらいました。
 
ですが、もらってすぐそこを断ってしまい、その後は一切の就職活動をやめてしまいました。
 
みんなが未来のことに必死になっている傍らで、危機感ももちあわせず、ヘイヘイボンボンと過ごしているわけですから、2代目のボンボンと言われれば確かにそうかもしれません。
 
ただ、他の会社に勤めて自分なりにキャリアを積んで、自分の会社に戻る…ということはできないなぁと思いました。
 
私は、社員を一旦受け入れれば、その人の人生を引き受けていかなければならないと考えてしまいます。
 
転職の時代だろうとなかろうと、経営者のトップとしては、そういう覚悟をもたなくてはいけません。
 
ある意味、結婚に似ていると思いますが、一度結婚を決意するのに、何年かしたら別れるかもしれないと思う人は普通はいないでしょう。
 
人生紆余曲折あって気持ちがくっついたり離れたりしながらも、それでもなんとか伴侶と一生生きていくぞという決意はなかなか揺るがないよう努力するものです。
 
それは会社でも同様だろうと思うのです。会社のトップは少なくとも、そんな気持ちでいるものです。
だから、さまざまな指導をしたり、協力したり、時に叱ったり…
それは大前提として、この社員とはとにかく一生やっていくんだ…そんな気持ちを持ち続けているからにほかなりません。
 
だから、私がもし他人様の会社にお世話になったときに、お互いに修行だからまあ10年がんばって自分の会社に戻る…というのでは本当の信頼関係はつくっていけないんじゃないかと思いました。
 
私は、どこかでうまくいかなかったり、いやなことがあったら、やめればそこから逃れられると思ってしまうタイプです。
 
逃げ道がないのはほんとに苦しいです。つらいです。だけれど、そういう道がない人生って案外選択肢がないから、前を向くしか仕方ない…ってわりきることもできるような気がします。
 
私が、他人様の会社にお世話にならなかったのはそんなわけです。