日経新聞の北澤豪さんのコラムが強烈に胸にささりました。
ワールドカップに出場する選手たちの中には、自身が貧困だったところから夢をつかんだ人は少なからずいて、そんな彼らがワールドカップに出るのを目指すのは、プロになって『社会に必要とされる存在になりたい』からだといいます。
サッカーで『めし』を食えるのはごく一握りの存在。
だけれど、頂点に立つ人たちは、めしの食い種になるどころか、それを通して社会を大きく変えられると信じているし、実際、真のスーパースターは、多くの人に夢と希望を与え、社会に大きく貢献をしています。
さて、ひるがえって私たちはどうなんでしょう。
仕事を通して、自分の生活のために生きている人は多かれど、それが真に社会に貢献できるものだと信じている人はどれだけいるのでしょうか?
いや、実際、多くの人は、自分たちの仕事が社会に貢献できると信じていると思います。ですが、それを『確信』している人はどれだけいるのでしょうか?
サッカーのスタープレイヤーが、最初からそうであったかどうかはわかりませんが、成長の過程で、そういう思いがだんだんと強くなり、今、現に確信しているのは間違いありません。
逆に言えば、そこに大きな価値を見出したからこそ、彼らは貪欲に成長し続けるのですね。
何かを成し遂げようとしている人は、すべての人にそういった高い目標をつかむチャンスがあります。
それが、私たちが行っている日々のこと、朝起きて、寝床につくまでの一連の行動例えば、あいさつ、掃除、食事…などなどそれらすべての中に、社会を変えられるチャンスがある…。
ただ、それを社会益だと思えるマインドがあるかどうかだと思います。
社会に貢献できる気概をもつ…虐げられようとも、欺けられようとも笑われようとも…