私は、ここハチ北で生を受け、それから、ずっとここで暮らしてきました。
父と母はそれぞれ事業を行っていて、それをずっと傍らでみて、なんのためらいもなく、それを引き継ぐことを決め、今に至っています。
『宿命』という言葉があります。
辞書をひくと、
『前世から定まっている運命。避けることも変えることもできない運命的なもの』
とあります。
自分自身は、いまに至るまで、宿命であると思って生きてきました。
しかし、世の中には、親とまったく異なる商売を始める人もいるし、サラリーマン家庭などはそもそも引き継ぐという発想は存在しません。
厳密にいうと、『宿命』であるかどうかは、自分自身がそれを信ずるか否かということなのだと思います。
『宿命』と信じて、さまざまな邪念を断つということなんだろうと思います。
そうすることで、覚悟が生まれ、それはその道への探求心の深まりであったり、さまざまな行動に自分自身で規制をかけて、広がるエネルギーや興味関心を一点に注いでいくということなのでしょう。
例えば、結婚をして、まったく自分とは想像もしなかった世界に足を踏み入れる人は、世の中にたくさんいます。
商売とは関係のない家庭に生まれ育ち、しかし、相手が好きになって結婚したら、その家は商売人で、経験も知識も持ち合わせていないのに、いきなりそういうところに放り込まれてしまったような…
そんな気持ちになる人は多いでしょう。
もちろん、結婚をしたからといって、必ずその商売を引き継ぐ必要はないし、自分の意のままに生きていっても何ら問題はありません。
ですが、それが『宿命』だと信じることができるならば、その家の家業を継いだり、配偶者の商売を手伝ったりすることで、自分の生きる道が決まっていくということもあるやもしれません。
自分の幸せっていうのは、実は、相互依存の関係です。
自分だけが幸せのレールに乗っていても、周りの人も幸せを感じなければ、幸せの度合いは半分以下です。
商売を引き継げば、実際はたいへんだけれど、親であったり、配偶者であったり、そういう人と相互に喜びを分かち合えるので、幸せの度合いが増えることもあると思います。
だから私は『宿命』はあると信じています。