
昨日のブログでは村岡高校主催の『チャリンピック』の模様をお伝えしたわけですが、なんで土建屋のおっさんが、村岡高校に関わってるのかという話をしたいと思います。
村岡高校がある香美町村岡では、少子化の影響で、どんどんと生徒が減ってきていました。
5年ほど前でしょうか、ついに生徒の数が減り続け、1学年に1学級という危機を迎えます。
村岡高校は、香美町村岡地区、小代区、養父市関宮町の生徒さんが主に通っていた学校です。
村岡地区では3つの中学校があったのですが、子どもの数の減少によって、一つに統合されてしまいました。
うちの会社で、そのひとつであった兎塚中学校をリニューアルして『うづかの森』という宿泊施設をしていることは以前にもお話ししたとおりです。
学級減が改善されず、今後も一クラスという状況が続くようであれば、教員の数をそれに見合うだけの数に減らさなければいけなくなり、また、送り出す親御さんとしても、教育環境としては、ある程度の人が必要なところに子どもを学ばせたいと考えるのは普通のことでしょう。
学校関係者の間では、『今度は高校がなくなるかもしれない』という危機意識が芽生えてきました。
そこで、いろいろと検討した結果、全国から生徒を集めることが可能となる『アウトドアスポーツコース』を開設しました。
村岡高校は、地域周辺にスキー場が多数存在することもあって、兵庫県ではぶっちぎりにスキー部が強い学校として知られています。
全国から、スキーを続けたい生徒さんを集めよう!というのが、一番最初の動機であったように聞いています。
しかし、『アウトドアスポーツ』を教育課程に取り組んでいる学校は、他に例がなく、手探りでのスタートとなりました。
幸いにして、小代には、日本アウトワードバウンド協会が指定管理をしている『とちのき村』などがあって、アウトドア教育を実践的にやっているスタッフなどが、外部講師としてカリキュラム運営にかかわるようになっています。
私は、以前から地域の企業人として、学校の評議委員会などで関わるご縁があったこともあり、学校の先生とは、以前から懇意にさせていただいておりました。
さて、アウトドアスポーツコースを作ったものの、この地域で、そうした専門的な教育を受けた人材を受け入れる企業がどれだけあるのだろうかという疑問がわいてきました。
もちろん、高校で、ある程度の専門性を身に着けたとしても、すべての人がその方面に行くとは限りません。
ですが、少なくとも、学校は毎年20名前後の卒業生を今後も輩出し続けるとして、地元にそのような人材を受け入れるだけの基盤を作らない限り、いずれこの学科の存在意義は再び問われることになると考えました。
ちょうど私たちの地域も、どうすれば地域の活性化が図れるのかという問題に直面しています。
私自身は、ハチ北やスカイバレイ、ニューおじろなど、スキー場を抱えるエリアとして、やはり観光を抜きにして、地域の再生はなしえないと考えていました。
ただ、これまでと同様に、スキーができる場所というハードだけを提供するのではなく、いわゆる着地型の観光を目指して、さまざまなアクティビティや、体験型のプログラムを開発し、お客様に過ごしていただけるような魅力をつくっていかなくてはいけません。
ならば、高校といっしょになって、『アウトドアスポーツ』という切り口で地域の未来を考えていけばいいのではないか?と考え、先生、生徒といっしょになって、新たな取り組みをはじめるに至ったというわけです。

今回の取り組みでは、大人たちがいろいろとお膳立てをしたものに乗っからせるのではなく、高校生が自らが企画立案し、実践していくということを目指していこうと考えたわけです。
これには、一つ大きな理由があります。
今、人口の流動がもっとも変化する年代というものがあります。
それが18歳です。
ご存じのとおり、田舎には、大学や専門学校がほとんどなく、進学をする生徒は、ほぼ都会に出て行ってしまいます。
2年なり、4年なり学んだあと、 『就職』という選択を迫られるわけですが、一度出た若者は、田舎には自分が働きたい場所がないとなり、これが地方における人口減少のもっとも大きな原因となっています。
確かに、これから働こうとする人が、『就職』するという視点しか持たなければ、ここには帰るところが『ない』といえるかもしれません。
しかし、自らが『起こす』となれば、そこに企業があろうがなかろうが関係がありません。
要は自らの志、次第なのです。
なので、私は、関わる授業の中で、自らが『起こす』ということ経験を少しでも積んでほしいと考えたのです。
もちろん、普通の大人でも『起こす』ということは容易ではありません。
しかし、若いうちからそういう経験を積んでおけば、一歩を踏み出すということに抵抗が少なくなるのではと考えました。
また、若いうちであれば、むしろ多少の失敗はつきもので、それによって大きなリスクを負うということもありません。
なので、プログラムの開発については、生徒自らが考えるよう先生と協力してそのような方向にすすめました。
また、私の知人をたぐって、大学の教授や、アウトドアの現場の一線で活躍している人にも協力をお願いをしました。
最初に学び始めてから、実践までに時間がかかったのは、アウトドアスポーツという彼ら自身も経験の浅いものを、自らが企画立案するということであったためでもあります。
人集めには、ずいぶんと苦労をしましたが、なんとか子どもたちの前で実践をすることができ、本当にほっとしています。
今回の事業を通じて、私自身も、多くのことを学ばせていただきました。
私は、この町が自らが産みだせる町に変貌してほしいと願っています。私自身が今後もどれだけ関わることができるかどうかはわかりませんが、町がよき方向に進めるためには持てるものはすべてだしきりたいと思っています。
これをきっかけに、高校生が飛躍してくれることを願ってやみません。