行政ととして、大きな問題が顕在化しつつあります。
それは、いままで作ってきたインフラをどう維持管理していくのかということです。
道路、橋、下水道、堰堤などの土木構造物の他に、公民館、学校、その他の建築物。
以前、ある人から提供していただいた町保有の建物リストでは、250ぐらいあったと記憶しています。
それを今までどおり維持していこうと思うと、今後莫大な費用がかかるということも試算されていました。
私たち建設業界は、公共投資によって、仕事を得る機会をいただき、それがいまの繁栄につながっています。
しかし、人口が急速に減る現状にあっては、これらストックされたものをどうしていくのか真剣に考えなければいけないときに来ています。
町としても、今年度中に、、実際にどうするのか、残すのか、つぶすのか、はたまた違う用途に変更するのかといった方針を発表すると聞いています。
通常考えれば、人口が減った分だけは、あまり利用されていない施設も増えてくることは事実で、用をなしてないのであれば、集約化して取り壊していくことも考えなくてはいけません。
通常考えれば、人口が減った分だけは、あまり利用されていない施設も増えてくることは事実で、用をなしてないのであれば、集約化して取り壊していくことも考えなくてはいけません。
私は、道路であれ、橋であれ、建物であれ、生み出されたものはすべてに『意思』が存在すると信じています。
だから、それらのものはすべて感情をもっていて、もしそれをなくすとなると、そういったモノから心の叫びが聞こえてくるようで仕方ないのです。
『つぶさないでくれー』って。
私自身は、建設業という『つくる』側に身をおいて、さまざまなものを産みだしてきた(建築、建設してきた)ものの立場にいるものですから、それを不要だからと取り壊してしまうことはほんとうにつらいことです。
私たちがそれに抗うためには、残るものとして、どう活用していくべきなのか…そのことを一生懸命に考えなくてはいけませんがいいアイデアは浮かんできません。
私の母校である兎塚中学校は、7年前に廃校となりました。
町はさまざまな利活用の方法を模索していましたが、なかなか利活用の道を探ることができず、結局、民間に売却するということになりました。
私は、直感的に、それを買わなくていけない…そんな思いが先行して、7年前に学校を購入して、施設を利活用することを決めました。
実は、昭和63年に築造された学校でしたが、当時、浜坂の建設会社様とジョイントベンチャーを組み、まさに直接産むことに関わらせていただいた建物でした。
だから余計に感情が入り込んだのかもしれません。
正直、最初から、十分な戦略をもちあわせていたわけではありませんでした。
売却が正式に決定して公募されてから、そんなに長い期間があったわけではありませんでしたが、事業計画を煮詰め、応募する資料を整え、今にいたっています。
私は生活のために何らかの利便性をもたらしてくれたインフラに対して礼を尽くすことは大事だと思っています。
冒頭の写真は、私がこの施設を町から譲りうけたとき、町の職員の方から手渡された写真の一枚です。
私は実は、この購入した学校で学んでいません。
今の施設は私が卒業した一つ下の後輩たちから学んでいる校舎になります。
取り壊す前の壁の落書きを町の職員の方が写真に収めたものです。
誰が書いたものかわかりませんが、これを見るたびに、なんとも言えない気分になります。
木造のボロボロの校舎でしたが、私にとっては思い出の詰まったかけがえない存在でした。
歴史は積み重なり、古いものはいずれはなくなっていくことは宿命かもしれません。
しかし、建物がなくなれば、それぞれの思いもやがて薄れなくなっていってしまいます。
人は、自分たちの気持ちが永遠に引き継が得るために、モニュメントを築きます。
それを前にしたときに、積み重なったきたさまざまな思いをそこで再び思いだし、それを生きる糧としています。
私は、そこで学んだ人、そしてそれにかかわってきた人、そういうみんなの思いをなんとかして、次の新しい時代にふさわしいモノに昇華させたいと思っています。
正直、道半ばでみんなの幸せのシンボルになるには至っていませんが、これからもさらに努力して、そのような存在として後世に引き継げるよう今後も努力を続けていきます。