市島の白毫寺というところにちょっと立ち寄ってみました。
ちょうど、藤の花があと数日が見ごろという感じでしたが、平日なのに大勢の人でにぎわってました。
若い女性グループが、藤棚を前に写真を一生懸命撮っていて、どうも日本語ではないみたいで、ちょっと小耳にはさんでいると、ベトナムから来たんだそうです。
もう、外国の人が兵庫の田舎のほうにも来ている姿に何の違和感もかんじなくなっていますねぇ。
さて、本題はここからなんですが、ここの庭園、いろいろな花が咲き誇っています。
石楠花でしょう…見事に咲き誇っていました。
おそらく季節がとぎれることなく、ずっと花が咲いているのでしょう。
こちらの住職さんや檀家さんたちが、いろいろと考えを凝らして、来場者がとぎれない仕組みに腐心されていることなんでしょう。
世の中には、お寺はごまんとあります。
なかなか人が集まらないお寺も一方ではあるわけです。
市島の人には怒られれますが、さして周囲に何か特別な観光施設があるわけではないのですが、こうやって人がこの場所(お寺)に愛情を注ぐことで、人が集まるようになっているわけですよね。
思いをもってすれば人が集まってにぎわいをつくれる好例だと思います。
私たちは人が集まらないことをついつい嘆いてしまいます。しかし人が集まらないと嘆くのではなく、ここには何かがあるのだと信じて動くこと。
これが大事なのだと思います。
この白毫寺も、すべてが完成しているわけではなく、裏山のほうは、ままだまだ手付かずで開発はこれからという感じでした。
だから、ここに思いを馳せて、さらなる努力を重ねればもっと人が集まる場所になるんだろうなぁと思いました。
私たちのところも同じです。
雪がなくなったスキー場は、ずいぶんとひっそりとしています。
スキー場とて、山を開発しようと思う人がいたから、人が集まる場所になったわけです。
スキー場もなかったら、ただのどん詰まりの一集落にすぎなかったはず。
思いをもって取り組めば人はきっとそれにこたえてくれるはずです。