僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄(きはく)を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため
(高村高太郎 道程)
今日は、古道を歩きました。
9号線から、猿尾滝方面に向かい、そこからさらに行くと、『作山(つくりやま)』という地区に行きます。
ほどなくすると、車道は行き止まりになるのですが、そこから、国指定重要文化財 名草神社&三重塔に行く古道があります。
この写真は、1丁目の地蔵さんの裏側に刻んである文字ですが、『寛政二年』と刻まれています。
寛政は、1789年から1810年までということですから、1790年にこの地蔵様が作られ鎮座されたと推定されます。
およそ今確認できるものとしては約30体ほどですが、それぞれ表には、村岡や、小代の地区の名前や、お寺の名前、個人の名前が刻まれていて、遠くは鳥取の地名をみることができます。
ですので、おそらく、この当時、村岡側の有力者にスポンサーになってもらってこの地蔵様を鎮座させたのでしょう。
名草神社の建立は1665年とされています。
この三重塔は、当時、出雲大社本殿の造営時に、妙見杉を送ったお礼として、出雲にあった三重塔を移築してここに再建したのだそうで、そういった由緒ある三重塔を詣でるがために、多くの人がここを通って行ったようです。
まだ車のなかった時代、今の国道9号線が、山陰道と呼ばれたころから、幹線道路であったわけですが、他地域に行くためには、山越えをしていったほうが、距離としては近いところが多く、そういった道はいたるところに存在しているので、ひょっとしたら、参道としてだけではなく、地域をつなぐ道であったのかもしれません。
今は、草まみれになって森になってしまったところも多いですが、この三重塔への道は今でもしっかりとした道を残しています。
そんな、いにしえの人に思いを馳せながら、歩いてみたわけです。
冒頭の詩は歩いている途中にふと頭をよぎりました。
今、私たちは普段の生活で道を利用しない日はありません。
しかし、まったく未開拓だった時代に誰かが飛び込んで歩みをすすめたからこそ、そのあとに道ができているわけですね。
私たちがいまこうしてい生かされているのも、やはり先人の多くの努力があったからこそなのだと改めて胸に刻むのでした。