先日、ある方と話しをしていて、棚田の話題になりました。
急速に広がる耕作放棄地。
田んぼがそれとして機能するには、水を河川から引き込む水路が絶対に必要なわけですが、その水路を使う耕作者が、一人減り、二人減りと、その水路を維持管理するための労力が、残された人にのしかかってきているといいます。
耕作放棄地の問題は、もちろん担い手が減っているという問題が大きいのですが、そういう一人ひとりにかかる負担も大きくなるため、だったら作りやすいところだけを取捨選択するということも一因としてあるのだそうです。
中山間地農業は、どんなに効率化を目指しても、そのスピード化には限界があります。手間ばかりかかってしまいます。
ならば、その手間が価値として認められるような戦略が必要です。
農産物がそれにとって代わることができるのかどうかはわかりませんが、同じものを生産しても、できるだけ価値のあるものとして評価されるようになることができないものなのでしょうか…。
よく付加価値の話で話題として引き合いに出されるのが、腕時計。
腕時計は、数百円のものでも、ちゃんと機能するものもある一方、一個数百万円までするようなものもあります。
スイスは高級腕時計で有名ですが、国に主たる資源がないため、価値をあげることで、世界と伍していけるようなっているのですよね。
村岡米は、全国のコンクールで何度も金賞をとるなどして、その評価が高まっていて、同じお米でも何倍も高く取引されています。
ただ、言うは易し、行うは難し。
耕作放棄地を眼前にすると、どうやったら、価値高いものとなるのか、そんなことばかりを考えてしまいます。