ハチ北観光協会は、ブルガーゲマインデなり! | ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。

今、地方創生の取り組みで、DMOという言葉が頻繁に登場するようになりました。

DMOとは、Destination Management Organizationの略で、観光地経営組織とでも訳したらいいのでしょうか?

 

旧来より、観光を統括する組織として、観光協会という組織が各地にあります。

観光情報を一元管理し、お客様への宿泊場所の紹介などを行ったり、場所によっては、観光地の清掃活動や、イベントなども行ったりしています。

 

地方の振興において、観光消費を増やし、経済的に自立した地域になることは大きな重要施策になっています。

 

ただ、観光協会の多くは、行政の補助金などで成り立っているところが多く、自主独立した運営に変革できるように舵をきろうとしています。

 

そしてよく引き合いに出されるのが、スイスにブルガーゲマインデという地域経営組織で、山田敬一郎さんと藻谷浩介さんの著書『観光立国の正体』で一躍脚光をあびるようになりました。日本のDMOの目指すべきモデルとされています。

 

さて、私が住まうハチ北にはハチ北観光協会があります。

正式名称を『一般社団法人 ハチ北高原自然協会』といいます。

 

昨年、ハチ北自然協会は発足から50周年を迎えました。

ハチ北スキー場がオープンしたのは昭和43年ですので、その前にこの組織はたちあがったことになります。

 

ハチ北自然協会は、発足当初から目的の一つに『健全なるナチュラリストの育成』を掲げていおり、自然を愛する人を育てていくという崇高な理念のもとにたちあがりました。

名称が、少し自然保護を思わせるような名前になっているのはそのためでもありますし、またこの組織が社団法人格を取得しているのも、単なる経営的な組織ではない、自然環境の保全も含めた地域振興を担う組織でもあるためです。

 

ただ一般のお客様には非常にわかりずらいということもあり、最近では通称名、正式名と分けて使うようになっており、現在では通称名である観光協会を表に出しています。

 

 

大笹地区(ハチ北の正式な地区名です)は、スキー場がオープンするまでは、他の中山間地と同様、農業を中心として生計をたてていました。冬になると主たる収入もないため、男衆は、酒屋に出かけ、杜氏として働くような生活をしていました。

 

昭和30年代から、各地でスキー場ができ始め、ハチ北の先人たちが、この地にもスキー場を開設しようとたちあがり、大阪の資本に来ていただいてスキー場を開発していった歴史があります。

 

その後、男衆が出稼ぎにでかけることもなくなり、この地で一年中生活ができることになりました。

 

従来、村という単位は生計を立てる上でとても重要な役割を果たしていました。

例えば、昔は、茅葺の家ばかりだったのですが、何年かに一度は葺き替えなければいけません。

大きな屋根を家族だけで葺き替えることは不可能で、村の人が今年は誰さんと誰さんの屋根替えの年と決めていて、村人総出で、屋根替えを行ったのだそうです。

 

また、但馬牛はもとは田畑を起こす耕運機の役割を果たしていたのですが、スキー場になっている場所は、もともと村が管理する放牧場で、屋根の材料もそこから調達していたわけです。

 

そういう、生活の共同体として、村は非常に重要な役割を果たしており、観光地として新たな歴史を刻みはじめたあとも、地域で取り組むという、もともとのベースがそこにあったのだろうと思います。

 

一部スキー場の敷地は、個人の土地が含まれているのですが、田畑をつぶして、スキー場用地として提供するもの、また駐車場用地として提供するものなどスキー場開発を行うために、それぞれが協力をして個人資産を提供しました。

 

駐車場収入を個人のものとするのではなく、全体のものとして収受するような仕組みを構築したということが、運営のベースにあります。

 

いまも駐車場の運営管理をハチ北観光協会が担っており、あわせて、それらの資金を元手にして、イベントやPRなどを行っていて、まさにスイスのブルガーゲマインデのごとくDMOの原型がそこにあります。

 

私たちの先輩たちは、そんなスイスの事例など知る由もないですが、地域経営という視点で、組織を構築することが地域の繁栄につながり、それがひいては私たちの幸せになることを直感的に理解していたわけです。

 

そういう理想を掲げ、たちあがった観光協会も、バブル崩壊後、運営ではなんとか自主自立をキープしながらも、さまざまな外的要因もあって、非常に厳しい状況に直面しています。

 

最も厳しい状況なのは、むしろ内的要因、つまりは私たちのマインドのほうかもしれません。

私たちが今後復活をしていくために必要なことは、原点に返るということだろうと思います。改めて考えてみるに、私たちは、いま日本の各地が目指すべきモデルであるDMOをを先進的に運営していました。

 

既に、先進となる仕組みは構築できているわけですから、一人ひとりが自信を誇りをもってコトにあたっていくことが地域の発展につなげることができるのだと思います。