私は、32歳のときに、会社の代表に就任したときに、心に大きな変化がおこったことを実感しました。
それは
『すべての責任は私にある』
ということです。
それまで、父のもとで、社員として働いていたときには、いい結果がでないとき、その原因を外部にばかり求めていました。
『私はこんなにがんばっているのに、なぜ結果がでないのか、結果がでないのは、◯◯が悪いからだ』
それは、設備であったり、他人であったり…。
とにかく、自分は正しく、何かが間違っている…
そんなふうに思って、そして、その自分ではない何かを追及していました。
追及しても、それを変えることは容易ではなく、ストレスもたまり、またそのストレスで、父や家族を罵倒したりすることは頻繁にありました。
しかし、自分が代表になったとき、そうやって罵倒することに、自分自身を大きく恥ることになりました。
なぜなら、それがモノであったら、いいものに変えるだけの権限をもっていたし、人事権も掌中にあったから、その任命責任は自分にあるわけで、本当にダメなら、挿げ替えることもできる。
外的要因と思われていたことがすべて自分に原因があると考えると、他を責める前に、リーダーとしての自分はどうであるのかと考えざるを得なかったのです。
それからは、あらゆることを自分化するような習慣がつき始めていると思います。
例えば、まちの問題、村の問題…。
自分が生活している身の回りのことすべてにおきる不都合なことは、それはだいたいにして自分の何かが欠けていたり、足らなかったりするからだ…
そんなふうに思っています。
何かが違うと思えば、
『では自分として何ができるのだろう』と考え、行動しています。
私が、マチづくりと呼ばれる活動に頻繁に顔を出し、発言し、行動するのも、そのためです。
コペルニクスは、天動説を唱え、それは今の世の常識となっていますが、
いい意味での地動説、つまりは世の中は自分を中心に回っているというふうに思うことが大事だと思います。すべての事象には、原因があり、それは自分の何かがあるからだ…
と考えていけば、何かの解決策を見出すための努力が生まれるはずです。