父が、数年前に病に伏して、復帰はしたものの、車いすの生活となりました。
リハビリはずっと続けていますが、自力で歩けるようになるには、まだまだ道が遠いです。
そんな生活を支えているのは、母でして、365日ずっと寄り添っています。
もはや父は母なくしては、生活がなりたちません。
私自身は、そんな母親に甘えて、ひたすら経営のことしか考えていないわけです。
先日、ご近所で福祉のお仕事をしている方からこんな話を聞きました。
「マサキくんところは、そうやって支える人がいて幸せだよ、いろいろな介護の現場をみているけれど、子どもさんがよそに出ていて、二人とも年金暮らしの中で、介護をしている人とか、未婚の子どもさんがいて、元気で働いているならまだしも、働くこともなく、生活保護を受けるような状況で、親の介護をしないといけないとか、あまり表には出ていないかもしれないけど、この町にもずいぶんそんな人がいるのよ」
まだ、母が元気で父を見ている今ですが、いずれどちらかが亡くなったときに、親の面倒を見なくてはいけない時がきます。
祖母は92でなくなりましたが、最後の5年間ぐらいは老人ホームのお世話になったり、在宅介護を受けたりしながらも、母がずっと面倒を見ていました。
さて、私たちがそうなったときに本当にそんなことができるのだろうかという不安もありますが、しかし、やはり我が両親を見続けるのは子どもの責任だと認識しています。
私のよく知っている廻りでも、親と子が離れて暮らしているところを多数知っていますが、家族の幸せの形というのは、いつでもそばにいる状態なのだろうと私は思っています。
こんなえらそうに言ってほとんど何もできていない私がいうのはまったく説得力がないですが、来るべきときが来た時の覚悟はもたないといけないと思う今日この頃です。