「智恵子は東京に空が無いという
ほんとの空が見たいという
私は驚いて空を見る
桜若葉の間に在るのは
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ
智恵子は遠くを見ながら言う
阿多多羅山の山の上に
毎日出ている青い空が
智恵子のほんとの空だという
あどけない空の話である。」
(高村高太郎 智恵子抄より)
ふと、教科書で習ったあの詩のことが頭をよぎりました。
誰の頭上にも同じ空があるはずだけど、本物の空とそうでない空があるわけです。
それはきっと、心構えが決めるんだと思います。
今日、私は、この空を見るために、早起きをし、そして空により近くなるところに移動してきました。
そこには絶景の空が広がっていました。
つまり、おんなじ空なのに、努力してみた空は特別だったわけです。
日常が非日常になる。
それは、自分の心が決めること。
私の頭上に広がる空は常に、特別な空でありたい。