昨日は、ご近所さんの葬儀がありました。
私のムラでは、葬儀が出ると、地域の人が多く関わります。
葬儀委員長は、通常は区長が務めることになっていて、区の役員さんは、それぞれ、役割があって、司会や、受付などなど…、もちろん、会場設営とか、装花とか、祭壇とか、葬儀屋さんがダンドリすることは多くあるのですが、いわゆるセレモニーの仕切りは、ムラで行うことになっています。
私と妻は、隣保として、朝からいろいろな準備のお手伝いなどをしました。
今は、葬儀会館などもあって、そちらを利用する方が増えています。
実際、ふいとそういう行事があると、大変ではないといえばうそになります.
ですが、私自身は、この伝統はぜひ守るべきことだと思っています。
昨日も、出役した人に食事がふるまわれて、同じように出役した年配の方とお話しする機会があって、
『むかしは、葬儀以外にも、屋根の葺き替えは、村の行事になっていた』
と話を聞いていました。
昔は、屋根は茅葺が多く、その材料をおうちの人が、田んぼや畑、山仕事の合間に、山から刈り取っては、家に蓄えていたそうです。
そうして、今年は誰さんと誰さんの家の屋根ふきをするということを村の中で決めていて、その際には、村人総出で、屋根の葺き替えを行っていたという話でした。
昔は、共助なくしては、生きていくことができなかったというわけです。
今は、さまざまなサービスが誕生し、自己完結でできることがほとんどです。(とはいっても実際には、お金を出して、その有料サービスを買っているということですけど…)
他の人を煩わさなくていいという配慮も確かにあるのですが、地域で生きていくには、お互い様という精神が大事だと思うし、そもそも貨幣経済になっても、気持ち的にはお互い様、自分たちが提供するモノやサービスを購入していただき、自分たちも、自身ではつくることができないものを購入する…。
お互い様な行事が一つなくなっていき、最後の砦?ともいうべきこの伝統がなくなれば、地域はなぜ地域たりえるのか?という意味がなくなってしまうのではいかと危惧しています。
私自身は、地域に育てていただいた気持ちが強いので、もし自分が亡くなるときは、地域で葬儀をしてほしいと願っています。私の番になるのはいつかわかりませんが…。