世の中はめまぐるしく変化しています。
技術の革新は、世界を一遍させます。
これまで通用していたものが、ある日突然通用しなくなる時代。
今朝の新聞には、イオンが赤字に転落したとか、セブン&アイホールディングスが、事業を縮小するとか、そんな話題。
ちょうど、和田山にイオンが店を構えたころ、但馬はすべて吞み込まれるんじゃないかと思ったら、その影響かどうかは分からないけど、これまでも既存商店街の縮小は続いていたけど、その後急速に力を失ってしまったような気がします。
そんなガリバーが、赤字?
10年前には、想像もしなかったことです。
翻って、私たちの業界。
『社会のインフラを整え、市民に対して安心安全を提供する』
という大義名分は、おそらく先の時代にあっても、代わらぬものであろうけれども、その中身はずいぶんと変わってきました。
これまでは整える=新たにつくっていく、という内容でした。
今でも、ミッシングリンクの解消は急務ということで、山陰近畿自動車道、近畿舞鶴道豊岡線の工事は急ピッチですすめられています。
ただ、その先はどうなのかといえば、実際わからない。
唯一確実にいえることは、人口減少社会に突入し、あらゆるインフラが、人の数に比べて過剰にあふれてくるということ。
実際、多くの学校が閉鎖となり、公共施設も不要となるものが次々と出てきています。
そして、情報化社会が進展し、新たなサービスが登場し、車は共同で利用するカーシェアリングや、動いている車の空き席を埋めるライドシェア、空き家や空き部屋を活用する、ルームシェアや、民泊など、ハードに依存しなくても快適性や利便性を追求する進取のサービスが次々と登場しています。
インフラを作り出すことを活動の原点としてきた私たちにとって、まさに一瞬先は闇の状況です。
ただ、もう一度、原点をみつめたいのです。
先に、業界の大義名分は
『社会のインフラを整え、市民に対して安心安全を提供する』
といい、そこに変化はないと言いました。
整えるのは、何も新たにするだけではありません。
いまあるものを十分に活用すること。私たちも情報をつかみ、市民に対して安心安全な情報を提供すること。
こんなふうに解釈を変えれば、その大義名分を変えることなく、私たちの存在意義もあるはずです。
私たちが積み上げてきた『コト』は、その蓄積が無駄になることは絶対にありません。
それぞれが積み上げてきたその足跡は、他の誰にも、とって代わることができないのです。
闇の中に一筋の光明もなければ、どこに向かっているのかまったくわからない。
だけれど、それがかすかな光であっても、そこに何かが見えるのであれば、そこを目指せば、前には進む。
かすかな道標を頼りに、進んでいくことが今の私たちに求められることではないでしょうか?
