以前、研修旅行で、旭川の旭山動物園に行ったことをふと思い出しました。
奇跡の動物園として、有名になった旭山動物園。
動物が普段の生活で、動き回ったりするリアルな行動をみせるような工夫をしたことで、来場者に動物ってこんなにすごいんだという感動を提供したこと…がその奇跡を産んだと呼ばれていますね。
旭山動物園の動物たちはほかの動物園にいるものとはさして変わらなかったはずですが、動物を同じ鑑賞するという行為でも、視点を変えさせることで、強烈なインパクトを私たちは持つことができるんだということですね。
これって、地域資源の磨き方そのもののような気がします。
私たちの地域は山陰海岸ジオパークの中にありますが、ジオパークに認定される前と後で、岩の形が大きく代わったという話は聞いたことがありません。
私たちが価値あるものとして、見方を変えたにすぎないということです。
ジオパークに限らず、私たちが暮らす地域って何もないというけれど、何もないんじゃなくて、そこに価値あるものとして見る努力をしていないということです。
5~6年前ぐらい前(もっと前かな?)から、三田にある人と自然の博物館(ヒトはく)と、共同でハチ北の自然観察会を行っていますが、以前その中にいらっしゃったお客さまの中で、趣味で、イネ科植物の研究を行っているという老夫婦に出会ったことがあります。
その方は、私たちが一般的にご紹介する山野草には目もくれず、ひたすらイネ科の植物だけに関心を寄せていらっしゃって、もうそんなレベルになると、ヒトはくの先生の知識をも超えるようなレベルのようでしたが、三田とはまた異なる植生にずいぶんとご満喫のようでした。
そこらへんの雑草とて、突き詰めていけば、当たり前のものは何もないわけで、自然の神秘というのは、ハチ北だからすごいとか、大阪だからすごくないとかそんなことはまったくなく、すべてが価値あるものなのです。
その価値あるものをどう見出して、どう相手に伝えてその感動を共有できるか…
そこに尽きるんじゃないかと、車窓から見えるさまざまな看板が目に飛び込んで、ふとそんなことを思いました。