道路の草を見ると、攻めのまちづくりについて考えてしまいます。
道路の草を刈るという行為は、景観の保全のために必要なことだけれど、これはどちらかというと対処療法的なところがあります。
問題が発生したら、それを取り除くという発想ですね。
昔、カナダに行ったことがあるというお話をしたことがありますが、バンクーバーがあるブリティッシュコロンビア州のビクトリアのことを思い出します。
ビクトリアは、州都でもあり、州議事堂のような施設がありましたが、近くにはヨットハーバーがあり、周辺全体が、公園のようになっていました。
ヨットハーバーでは、パフォーマーのみなさんが、音楽や、アートなどのさまざまなパフォーマンスが行われていました。
まちには花が咲き誇っていて、道路などの、公共空間などはもちろんのこと、各家の庭もきれいに手入れされていました。
ビクトリア近郊には、ブッチャートガーデンというこれまたすばらしい植物園がありましたが、まるで夢のようとはこのことで、こんなすばらしいまちがあるんかなーと度肝を抜かれた記憶があります。
州政治の中心地というより、完全に観光の地方都市(約8万人の人口圏ですから、都市というほど大きくはないんですが…)
でしたね。
ああいう花が咲きほこるような街は、攻めていますよね。
花をあちこちに咲きほこらせているということは、そういう雑草は当然に取り除かれているってことです。
おそらくどうやったら、より景観が美しく保たれるかという前向きな発想であります。
ビクトリアの夜の街をうろついていたとき、市の職員か、委託された人かわかりませんが、せっせと水やりや、枯れた葉っぱの除去などをやっていたのを目にしました。
観光客を集客する裏側では、このように当然に景観維持のための努力がされているわけです。
でもそこは、地域の人や観光客にいかに幸せな気分になってもらうかという前向きな発想しかないように思います。
問題発生の後処理とは大きく異なる点です。
日本は、豊かになったけれど、こういう部分ではまだまだ後進的だと思います。
世界に誇るべき日本であるためにも、道路維持に攻めの行政であってほしいと願っています。