ハチ北の進むべき未来 | ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

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どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。



『ハチ北は、スキー場からの脱却を図らなければならない。』

私の考えの根底にあるところです。


私の住まいは、ハチ北で、祖父母が、小さな民宿を営んでいて、それを母が引き継ぎ、今それを私たちが引き継ごうとしています。

私が…ではないのは、私自身は、料理をすることも、部屋のお掃除をすることもないからです。(ほんとに忙しいときは手伝いますけどね…)


主には、妻や、昨年、夫婦で東京から戻ってきた弟夫婦が切り盛りをしています。


ハチ北の発展は、スキー場の発展の歴史といっても過言ではありません。
49年前、神鍋やハチ高原は、すでにスキー場開発の先駆者として、スキー場に多くの人が詰めかけるようになっていました。

単なる山奥だった大笹(ほんとの地区名は大笹といいます)にも、スキー場を開発しようという話がもちあがり、地区の人のさまざまな決断でスキー場開発が始まりました。

ハチ高原を運営していた開発観光という会社(後に鉢伏開発観光と名前が変わります)の資本、そして地元は土地と労働力を提供し、町は道路整備や周辺整備を進める…、

そういった3者協定が交わされ、三位一体となってスキー場開発をすすめてきました。
ご存じのとおり、今や関西エリアではもっとも集客力を誇るスキー場の一つとなっています。

50年前の先輩たちの英断が、今の繁栄を築きあげていることはゆうまでもありません。

しかし、今私たちが考えなくてはならないのは、スキー場に依存しない観光施設としての村の在り方です。

幸か不幸か、ハチ北スキー場は、大阪の資本が入ったスキー場です。
もちろん、スキー場が会社組織である以上は、利益をあげ続けなければなりません。

しかし、そこには、土着する地元との意見や考えの相違があることは否めません。
そして、もっとも人を集める存在であるが故に、イニシアティブがとれません。

私たちはそこで暮らす民として、経済とは別のものアイデンティティがそこにはあります。
里山に暮らし、自然の恵みを受け、相互扶助の精神でお互いに助け合いながら、生活をしています。


この50年を区切りとして、スキー場がなくても、自立できる村でなくてはならなりません。
里山そして地域の人が織りなす魅力で人を吸引できる村でなくてはならないと考えるのです。

もちろん、スキー場は今後も存在し続けるでしょう。
ハチ北スキー場を目指して人が集まるのではなく、大笹という村に魅力を感じて来た人たちが、たまたまそばにスキー場があったので、それも利用した…、そういう村にならなくてはならないのです。

残念ながら、いまのところ、私の宿は、スキー場に付随する施設でしかありません。

私たちのスタッフや、宿に魅力があって人はきていないのだということを自覚し、もっと自分たちを高めて、来ていただいたみなさんに、喜んでいただける自分たちになるように努力していかなくてはならないと思います。