私は、22歳から、40歳まで青年会議所に入会させていただいていたのですが、その中でも自分の中で特に印象的だった出来事がいくつかあります。
私は、34歳の時に、近畿地区の役員を拝命させていただきました。
当時5,000名はいると言われていた近畿地区を連絡調整する機関です。
近畿地区のメイン事業の一つに、グローバルトレーニングスクール(GTS)という事業があって、メンバーに国際的活動をしてもらうことを目的としていました。
私は、その事業の委員長を任されることになりました。
海外で、ミッションを行うということなど、もちろん経験などありません。
そして、事業を遂行するためには、会議で承認を得なくてはいけませんが、それぞれの府県から選ばれた会長さんを前に、プレゼンをしなくてはなりません。
うわべだけの議案を書き上げていても、百戦錬磨の会長さんにはすぐに見破られてしまいます。
議案には、『事業目的』『事業内容』『予算』などなど…さまざまなものを盛り込まなくてはいけませんが、どんな角度からの質問を受けてもすべて完璧に答える必要があります。
会長も、後ろに数十名の各地青年会議所の理事長を従えているわけで、中途半端な議論でもしようものなら、今度は会長さんが、理事長から突き上げをくらうわけです。
だから、会長も必死です。
事業計画をつくりあげるために、委員会で何度も何度も打ち合わせをおこないました。
委員会メンバーといっても、近畿地区内にちらばったメンバーたち。
もちろん当時もメールはあったので、それらは駆使していたけれど、思いを共有するにはひざとひざをつきあわせてやるしかありません。
大阪に何度もでむき、議論をしました。
事業のために、2度事前視察を行い(もちろん海外です…)、また多くの関係者に会いました。
一つの議案を書き、それをみなさんに認めてもらうために、自分ができうる最大限のことをやりました。
ちょっと大げさですが、命がけでした。
そうやって、書き上げた議案というものは、議案の中身うんぬんもそうなのですが、そこでプレゼンするときに、オーラがでてくるんだと思います。
そういうものを会長さんたちが感じとって、
『よし、それをすすめよう』と意思決定をしていただいたのだと思います。
当時は、ただがむしゃらに取り組んだだけですが、今にして思えば、それが『真摯さ』だったのではないかと思います。
青年会議所でさまざまな意思決定をしてきました。
そういう経験を重ねて思うのは、表面でとり繕った議論は、けっこう簡単に見破れてしまいます。
その人が事業にかける熱い情熱をもっているということ、
熱い情熱をもっているということは、それは誰もみていないところでそれを実現させるための無数の行動があるということです。
そういう経験を積み重ねて出された人には、ゆるぎない自信と、ぜったいに成就させるのだという覚悟があり、それは言霊として外に飛び出してきます。
しゃべりがうまいヘタなんて、全然関係ありません。
『真摯さ』というのはそういうことなんだと私は思います。
私が『真摯さ』にこだわるのは、そういう経験をしてきて、それが自分の成長や、まわりの成長につながっているからです。
どんなにすばらしい事業であっても、そこに『真摯さ』がなければ、それはただの紙切れのようなものです。