『ナポレオンの村』の今後の行く末が心配なところですが、あのドラマでの設定は、限界集落を廃村にさせてそこに、ゴミ処理場の計画をたちあげようとする市長の思惑を打ち砕くというシナリオになっています。
ゴミ処理場を推進する市長サイドが強烈な悪者にしたてられていますが、市民の生活を進めるうえでごみ処理場の建設は大事なことには間違いありません。
要は、その建設予定地として我が村であることを認められるかどうかということ。
総論賛成、各論反対論ですよ。
実際、私が住むハチ北の村に、ゴミ処理場の建設問題がたちはだかったとき、それが市民のためだからと納得できるかというと、きっと私自身も反対していると思います。
基地問題、原発問題、日本国のためだとしながら、ではそれらをうちのまちに呼び込むことができるのか否か…高度な政治判断が求められます。
ゴミ問題で考えた時、自分のところで受け入れないとするなら、自分たちが加害者にならないようにしなくてはいけないということです。
つまりは、受け入れない代わりに、自分たちも出さない、そういってのけて初めて、受け入れはノーだと堂々といえるようになると思うのです。
となれば、徹底的にゴミを削減して、もっといえば、ゴミを資源にして次に活かすことが大事です。
原発の問題にしたって、自分たちが生活する分のエネルギーは自分でつくる!だから、原発はうちのまちでは作らせない!とすれば、それも誰も文句が言えない話です。
要するところいかに、自立した仕組みがつくれるのかということ。
ありとあらゆるものが自前でできるようになり依存度が減れば、そういったものから解放ができるということですよ。
『ナポレオンの村』がどんな結末を迎えるかわかりませんが、ゴミの問題がどういうふうに解決されていくのか、興味深いところです。