ここ数日、畑で草と格闘しております。
プロの農家さんから、笑われそうなぐらい、管理がゆきとどいていません…。
よく、『若いうちの苦労は、買ってでもしろ!』っていいます。
でも、その若いうちの苦労は、いくつまでの苦労なのかという定義はないですね。
長老からすれば、若いわけですから、40代でも十分若い。
そんな歳でも苦労はしなくてはいけないのかな…などと思ったり。
油断をすると、あっという間に畑には雑草がはびこり、作物の成長を妨げたり、管理を難しくしてしまいます。
誰だって苦労はしたくない。
そこでふと考えてみました。
苦労の正体とはいったいなんなのかと…。
自分なりに考えた結論は、それは『本質を見抜ぬけない目ではないかと…』
作物をつくるのに、一番いいのは、労力をほとんどかけず、立派な作物ができること!
しかし、実際には、よけいな草は生えないようにしなきゃいけません。草むしりというプロセス、その作業が多量にあればあるほど、手間ばっかり増えてしんどいだけです。
そんなものはなくしたほうがいいに決まっています。
そういう作業をやると、あー二度とこんなしんどい思いをしたくないと思い、その苦しみから、マルチをしたり、除草剤をまいたり、はたまた、自然農法と称して、草むしりすらしなかったりする知恵を探すわけですね。
だから、もともとどうすればそういった無駄なことをしなくてもいいかということを知っていて、わざわざたいへんなことをする必要はないわけです。
ただ、やはり、そういう結論を導くためには、あっちこっちに迷走することがあるかもしれない…それが苦労というプロセスなのではないか…。
草むしりは、苦しみ…でもそこから何かを学び取って苦労でなくすようにしたいものです。