鉢伏山の北方に位置する香美町村岡区大笹、ここが私のふるさと。
鉢伏山の北側に位置するから『ハチ』『北』の名が冠され、いまや自己紹介のときには、必ずその名で皆さんにします。
いろんな人とお出会いして、『ハチ北の西村です』と自己紹介すると、だいたいは理解していただけます。
先人たちが、スキー場を誘致し、関西でも有数のスキーエリアの成長しました。その結果だと思います。
私が生まれたときには、スキー場は既にあって、スキー場がなかった時代を知りません。
だから、それ以前の苦労を知らないので、本当に私達は恵まれていると思います。
ハチ北スキー場は、大阪に本社をもつ会社が運営をしています。
だから、地元の意見というのがすべて取り入れられることはありません。
ときに地元と対立することもあります。なんとか、お互いに折り合いをつけながらやっているけれど、ベストとはいえず、ベターな方向か?というとそれもどうかなと思うところがあります。
しかし、ハチ北の開発において、山の裾野で、田畑を耕して生計をたてていた地域に、自己資本はなく、外資を受け入れたことで、開発がスムーズにいったということも否定できません。
また現在、地元が出資して作ったスキー場も経営が厳しくたいへんなところも多く存在しています。
果たして、村が自己資本を投入してスキー場開発を行ったら、今のハチ北はあり得たのかとうことも冷静には考えないといけないかもしれません。
どうしても大人の都合で、山をとらえがちですが、ドラえもんに出てくる空き地のように、私にとって、そこが遊び場であり、そこが学びの場であったところ、それがハチ北スキー場なんです。
だから、どんなに、複雑な心情が渦巻いたって、愛すべきハチ北であることに、微塵の違いもありません。
さまざまな障害を乗り越えて、新しい時代の地域をつくっていくことが私たちスキー場有史以後の世代の責任です。