iphoneやandroidがあってもそこにアプリがなければ、何ら価値を産みません。
墓だって、そこに性根が入るから、魂が宿るのであって、それがなければ、単なる石ころにすぎません。
建築行政に関わってきたものの反省を込めて、そう思います。
私が、まちづくりに関わるのも、そういう自分の会社であった責任として、価値を生み出せるようにしなければいけないという反省もその一つとしてあるからです。
いま、各地で空き家や空き建物が増えてきました。
建物どころか、空集落つまりは、廃村などの問題も顕在化しています。
家って不思議なんですが、人が住まなくなると、一揆に朽ち果ててしまいます。
人がそこで生活すると、窓の開け閉めがあったりして、通風などをしたりするので、湿気がこもったりしないからだといわれていますが、そこに人の魂が宿っていないからなのかもしれません。
建物は、それをつくる目的があります。
しかし、その目的を果たすのは、人でしかありません。
人が何らかの思いをもって、活動するから、その建物があたかも生き物のように、動き始めるんです。
建物を活かすためにコンテンツを考えるってのも、真逆な感じだけれど、これだけ多くの建物が世に存在しているのなら、その建物を活かすにはどうしたらいいのかということも考えることも必要かもしれません。
世の中が今必要としていることだけでなく、今後の社会に必要とされるものも含めて考えていくことが求められていると思います。
そんなには簡単に答えはみつからないと思いますが…何かを考え行動しないと、問題はとうてい解決はしないです…。