私が交流している大学の先生のところの学生さんが、ローソンの弁当について『安心の味』って言ってたということを聞き、自分なりに安心の味というものを考えてしまいました。
ローソンの弁当がつくられる工場をみたことはありませんが、私の会社で以前、給食センターを手掛けたことがあって、給食センターに入るには、一度エアシャワーのようなもので、全身をきれいにして入らないといけないようになっていたので、おそらくそんな感じになっているのではないかと思います。
一方、細々ではありますが、畑作をするようになって、いい野菜をつくるには、いい堆肥が欠かせません。
その堆肥、この近くですと、牛糞堆肥が多いのですが、いうまでもなく、牛の糞尿からつくられるものです。
それは、目には見えない微生物の働きによって、有機分解されたものです。
目に見えない微生物にそういった作物のモトとなる栄養をゆだねている一方で、
完璧なまでに目にみえないものをシャットアウトしていく…。
日本は、発酵文化の国とも言われています。漬物、へしこ、酒、みそ、しょうゆ…これもまた目にみえないものの力を借りてやっていっているわけですね。
目に見えない菌なんかは、もう人間のコントロールを超えるところがあって、それを制御するところにそもそも無理があるのではないか…そんなふうにも思います。
生物多様性が叫ばれていますが、目に見える生物だけでなく、目にみえない多様性も維持されてこそ、この世の中は均衡が保たれるのだと思います。
私達は、もっとそういった多様なものを受け入れる度量があっていいのではないか…、安心というのは、都合の悪い物をシャットアウトするのではなく、度量をもって受け入れる…それが違う意味での安心につながるんじゃないかと思いますがいかがでしょうか?