大学を卒業してから約20年、都会から但馬へアクセスは格段によくなりました。
あまり覚えていないけど、神戸に行くのに、春日まで地道を走り、そこから近畿舞鶴道に乗っていたような記憶があります。
播但方面も、確か生野北インターができて、まだ和田山インターや、まして八鹿氷ノ山インターなどありませんでした。
豊岡方面に行く、蘇武トンネルは、うちの会社でも、その関連の工事をさせていただいたりしてたので、豊岡もずいぶんと遠く感じられたものです。
兵庫県内どこに行くにしても、そんなに距離を感じなくなったのは、まさに道路網の整備の賜物です。
しかし、これらの恩恵に預かれるのは、先人たちのさまざまな苦労を乗り越えてきたからであって、私達はただただその恩恵をあずかっているだけなのです。
社会資本整備には、お金もかかるし、時間もかかる。
だけれど、そういう思いを地域の人が共有しないと絶対に実現などありません。
いまこうやってさまざまな恩恵を受けた私達ですが、この先の世代の人たちに私達がどんな活動、どんな運動ができているのか…そのことを考えると、たいして何もできていないのではないか…そんな気がします。
これは何も社会資本整備だけのハードのことだけをさしているのではありません。
文化も含めたソフトも含めたすべてのことです。
20年後も輝くふるさとであるために、今しなくてはいけないことをがむしゃらにやっていかないといけません。
自分たちが恩恵に預かれないから、動かないというのなら、先人たちが私達に残してくれた気持ちに大変申し訳ない気持ちになります。
なんとなく、いま地域で感じるのは諦めの気持ち。
気持ちが萎えたら終わりです。常に未来は明るいのだ、そう信じてがんばるしかないです。