右肩あがりな競技人生 | ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

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どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。

いま、長男と次男がジュニアスキーチームに所属してがんばっています。

スキーバカだった私としては、こどもがスキーに頑張ってくれているのは親としてもとてもうれしいです。

ただ、長男のときは、ちょっとした事件というか(すべて私が悪いのだけれど)があって、ちょっと出遅れた感があり、いまだに上位に食い込めないことに歯がゆさを感じてもいます。


子どもたちの滑りを見ながら、いろいろと伝えたいこともあるけれど、私はあまり技術のこととか、口にしないようにしています。

彼らと接していて、一番意識していることは、社会人になってスキーと関わってくれるか?ということです。

12歳の長男が社会人になるには、およそあとおよそ10年ありますが、そのときに、スキーがライフワークの一つとして、なくてはならないものになってほしいと願っています。

私の競技人生はたいした成績があげられたわけではないけれど、今もこうしてスキーに関わっていることだけは、自分のとりえだと思っています。

海外に行った経験はさほどないですけど、これだけ全国にスキー場が点在している国はあまりないのではないかと思います。

南は九州から、北は北海道まで、雪が降る中山間地に冬季にはさしたる産業がなく、スキー場は経済を支える重要なインフラでもあります。

我が香美町も、スキー場はそれなりの経済活動を生み出し、地域を支えています。


スキーを直接的なビジネスにするかしないかはさておき、そんな地域に生きているものならば、文化としてスキーがしっかりと定着してほしいと願っています。

そのためには、やはり『NO SKI NO LIFE』の精神であってほしいのです。

幼少の頃に一生懸命スキーをしたけれど、中学校でぱったりとやめてしまったとか、高校でやめてしまったとか、そういう人を何人も見てきました。

経済的な問題や、進学進路の問題…いろいろな理由があると思います。

でも、やはりこの地で生きているのなら、何らかの形でかかわってほしい。それはスキーを文化として成熟させるために絶対に必要なことです。

ご自身がスキーを滑ればもっともいいですが、滑らなくても何らかの形でスキーに関わる人が多くないと地域のスキー文化は醸成できないし、それは産業としてのスキーの衰退も意味します。

それはすなわち中山間地の疲弊も、もたらすのです。


私はスキーでたくさんのことを学びました。それはいまの私の生き方考え方をつくるベースにもなっています。だから、子どもたちにも多くの学びをしてほしい。

そして、スキーを文化として成熟させるための一翼を担ってほしい。

だから、『スキーは楽しい』そんな気持ちをずっと持ち続けてくれることに、一番の重きをおいています。

競技スキーをやっている以上は、勝利を目指さなければなりません。いま下位に甘んじていても、自分が考え、自分で工夫し、一歩ずつ着実に積み重ねるようなスキー人生。

ゴールは社会人になる頃でいいのかな、そんな長い目でみていきたいなと思います。