またまた川崎の事件についてです。
昨日ある方と会話の中で、今回の川崎の事件に触れ、あれは氷山の一角だねと話になりました。
死に至らないまでも集団のリンチのようなことは、マスコミに報道されていないだけで、まだまだあるはずだという意見で一致しました。
夜、こどもと対話しました。今回の事件のことは子どもたちも学校で一応の話題にはなっていたようです。
『お父さんは、これはいじめがもっともエスカレートした形だと思うけど、自分の身のまわりでいじめおきていないのか?』
と問うてみると、仲間を無視をしたりということはあったといいます。
『じゃあなんでそんなことになっているの?』
とこれまた問うてみると、
『なんとなく』といいます。
私が、学校に通っていた頃にあった、いわゆる無視するといった初期のいじめは、この感覚に近かったと思います。
特段の理由がないんです。なんとなくそんな雰囲気になって、たいした明確な理由もなく、仲間が同調していって、いつのまにか仲間はずれにされてしまうといった状況です。
そんなときに、あいつがきらいだとか思っていないのであれば、同調せず、
『そんなこと思っていない』
という勇気がなかった。
『みんなで楽しくやっていこうや』
と声をあげれば、場の空気を変えることができたのに、そのちょっとした勇気がないばかりに、そこからどんどん変な方向にかわっていくことがあります。
これは何も学校だけの問題ではありません…
職場も、地域も、ほんのささいなきっかけで、なんとなくぎすぎすした雰囲気になったり、よくなったりします。
それは本当にちょっとした勇気を持てるかどうかにかかっています。