
台風19号が日本列島を縦断していきました。
被害にあわれたみなさまに、心からお見舞い申し上げます。
昨日、とある方とお話をしていて、
『最近は、避難勧告や避難準備などがすぐに発令されないか?』
とおっしゃっておられました。
気象庁さんなどが、そういう情報をお持ちなので、そういうところに尋ねればそれが本当の話なのかどうなのかということはわかると思いますが、私個人の感覚としてもそういう印象があります。
これも推測の域をでないのですが、なんとなく、社会全体が国に対してそういうプレッシャーをかけているようにも思います。
実際に、過去の災害事例において初動対応が遅かったことが甚大な被害を及ぼしたということは否定できないことで、そのような体制がとられているようです。
しかし、逆に個人としての防災能力はどうなんでしょう。
すべての災害に対しての予防や対応の責任が、国や地方自治体にあるような風潮が生まれ、一人ひとりの防災に対しての免疫力や判断力が低下しているようにも感じます。
例えば台風災害で、どんな場所も危険な状況になりうるとはしても、より被害がおきやすいところそうでないところというのが存在します。単にハザードマップに記してあるということではなく、その地域に住んでいれば、経験値として、ここは危ない、ここは安全というところもあるのは事実です。
そういうかぎ分けができれば、台風の中でもある程度の行動もとれるというものですし、物流やサービスなどを提供することを考えると、どんな自然災害でも、外に出なくてはいけない状況も発生します。
それらは、自分自身がその感度を高めていく努力も求められます。
安心、安全な社会をつくるというのは、大前提ですが、それはすべてハード面だけの問題ではありません。
ハイパーレスキューを例にするとわかりやすいのかもしれません。
テレビなどでも見るハイパーレスキューは、普通の人では到底飛び込むことができない災害の最前線にあえて飛び込んで、人命を救助する使命があります。
そのために、高度な知識、技術、経験を積む必要があります。
そういう人が安全を確保できるレベルは私達のはるか上方にあります。
普通の人が危険だと感じることも、訓練を積んだりすることで、外部環境を変えることなく、安全の領域を広げたりできるものです。
避難勧告が出て、それがかえって仇となり、水に流され、事故につながる事例もときどき紹介されます。
国や自治体がそういう指令をだしたとしても、最終的な命を守る責任は、自分自身にあります。
状況を判断し、避難所に逃げずにとどまる選択を迫られる場面もあります。
さまざまな災害に関する情報は、個人の判断を助けるためにあるものだと考えるべきなのかもしれません。
個人の防災に対応できる力を備えていく力を蓄えていくことは今後ますます重要になるのではないでしょうか