
瀬戸大橋で、一人たそがれております。
先日ブログでもご紹介した、『犬と鬼』がひっかかっております。
本州と、四国を結んだ初めての橋…。
今では、明石海峡大橋もあれば、しまなみ街道もあるわけですが…、巨大な土木構造物の塊です。
予算規模1兆1,200億円のまさに国家プロジェクト。
あれをみて、まあ瀬戸内の景色が台無しになったという人もいないわけではないでしょうが、四国と本州が地続きで人やモノが以前よりも格段に便利に往来することを否定する人は少ないはずです。
兵庫県は、淡路島も抱える県ですが、多くの友人が淡路にもいて、彼らの先輩たちは、その昔タコフェリーなどに乗って、苦労されながら、海を往来していた時期もあったわけで、そういった『自由』を手に入れることができた意味はおおきいはずです。
土木事業のすべてが否定されてしまったら、空港の整備もありえないし、観光立国を目指すにも、容易に行くことができなければ、なんだかんだいっても、観光の場所として、その対象から外されてしまうという一面もあるはず。
だから、ある一面だけをとらえて、それをすべて否定することがあってはならないのだと思います。
すべてがバランスの上で成り立っているし、すべてが必然なんだと思います。
人がほとんど入り込むことのない、原生林のような生態系を維持されている場所も必要だし、自然を少しだけ分けていただいて、このようなコンクリートや鉄の塊も必要。
便利とか不便とかではなくて、人が移動の『自由』が与えられたってところに意味があると思います。
自由と平等が民主主義の基本なら、移動できる自由を与えられるということが人の喜びにどれだけ寄与していることか…。
うむ。