作物を栽培しているときに、ふと思います。
肥料を施したり、まわりの草をとってあげたりして、作物の生育の傷害になるものを排除したり、力が発揮できるようにしてあげてるだけであって、成長する行為そのものは作物自身がしているのだなーと。
人の成長というものも、結局同じなのではないかなと…。
生命があり、意志があり、本来もっている可能性みたいなものがそれぞれにはあって、ただまわりの環境を整えてあげるだけなのだろうと。
なんか親として、子どもに成長をながうとき、相手も個性がある人であり、自らが成長をしようという気概は本来備わっているのであって、だから、その可能性を信じて、成長がしやすいような環境を整えていくというのが、大事なのかな-と。
うむ、確かにそうなんだと思う。