今回中国産の鶏肉からタイ産へ切り替えると発表したそうですが、そもそも何をもって安全といえるのかということです。
農林水産省や、厚労省が、あらゆる食品に基準を設け、ここまでなら大丈夫という線を出しています。
だから、普通に買う食品は農薬を使用しているということで間違いなく、ではそれは人間にとって本当に無害なのかということです。
農薬をそのままストレートに体内に取り込めば、人間、何かの異常をきたすわけでしょうから、ではそれを希釈して使っているからと言って、絶対に安心だということにはならないはずです。
そしてまた鶏肉などについていえば、使っている飼料も本当に無害だといえるものなのかということにも行き着いてしまいます。
結局のところ、一応、国などが定めた許容範囲を超えていないから『安全というふうに言ってもよい』だけであって、本当の安全は自分自身がこの目で確かめて、自分自身がそれを納得なり、確信することでしか安全とはいいきれないのだと思うのです。
原始時代に遡れば、自分が口に運ぶものは狩りをしたり、採取したりしながら、すべて自己責任の世界でありました。
それが、加工された野菜や肉となり、はたまた、調理された二次製品として世に出され、生産や、加工のプロセスなど知らない中で口に運んでいく時代になってしまいました。
ちょっと問題が生じれば、その責任は、自分以外になってしまいました。
どんなに文明が発達しようとも、人間は食料を得て、食べなければ生きてはいけません。
そのもっとも大事な行為が、責任のなすりつけのような時代になって、なんか行き過ぎを感じないでもありません。
おそらく、今回のことで目くじらをたてて大声を上げている人は、なんとなく、もっとも自身が食べ物を得るところから遠い人が言っているような気がしてなりません。
なんとなく、生産というところで近いところにいる人にとっては、あまりこの問題を深刻には受け止めていないのではないでしょうか?

鉢伏山に自生している種から、採取した種から育てたおみなえし