最近、あまり聞かれなくなってきたような気がします。
景気がよくなってくると、足元を見つめなおすより、とにかくいけいけどんどんになってくるからなのでしょうか…。
私自身、どう考えたって、農業とは切り離すことなどできない生活をしていながら、自分自身で、作物をつくるようになったのは、ここ数年のことで、
なんちゃっての域を出ていないので、えらそうに能書きをたれる資格もないのですが、スローフード運動がおこった一つの契機は、イタリアにマクドナルドが登場したときに遡るらしいですが、今一度、食べるということの意味というか意義というかを見つめなさなくてはならないと思います。
エネルギーを摂取するというだけの食ならば、どんどん効率化し、すべてが、タブレットのような錠剤にして、それを摂取すればいいのですが、食べることというのは、それだけではないさまざまな意味がそこに含まれているわけで、手間ひまをかけて調理し、ゆっくりと味わい、家族や仲間と談笑する…ということなんだと思います。
古今東西を問わず、結婚式などのお祝いごと、葬式などの催事ごと、うれしいこと悲しいことを共有するときに、そこには必ず食があります。
なんとなく、最近そういうスローなことから全体の関心が薄らいでいるような気がしてなりません。
私は安倍首相はきらいではないし、景気がよくなって、日本全体にも明るさが出てきているような気もしますが、そもそもなぜ経済をよくする必要があるのか…
私が思うに、それは人々に幸せをもたらすためであって、そうであるならば、生きることの意味、その中にある食べることの意味をみつめなおすことをといかけたスローフードを今一度考えてみたいものです。