昨日は、兵庫県議会の文教常任委員会の皆様が、村岡高校を視察されました。
村岡高校は、「地域と共に学ぶ」学校を目指して、努力を重ねておられます。
少子化で、生徒の人数が著しく減少し、学級減、学校統廃合の問題に直面しているということがあり、一方地域としても、学校の消滅は少なからぬ地域経済への影響や、何よりも高校を有する町というアイデンティティの喪失という問題があり、そこには、同じ危機感を共有するもの同士が手をとりあってこの問題に向き合っていこうという一致団結した思いがあります。
どの地域においても、小中学校ではふるさと教育には少なからぬ取り組みをされている昨今ですが、高校としてふるさとを軸にして、高等教育を行っているところは他に類見ないわけで、ある意味、高等教育の最先端を走っているんじゃないかと思います。
いまもそうでしょうが、高等教育もいまや、いい大学、いい企業(←なぜかそれが大企業という話になってしまうのですが)に入るための予備校的なものになってしまっています。
親御さんにしても、地域にしてもせっかく天塩にかけて大事に育ててきた貴重な人材が、都市に奪われてしまうのは、職業選択の自由や、その個人の幸せがつかめれればそれでいいじゃないかということなのかもしれませんが、どことなく、やりきれない思いがでるのが現実ではないかと思います。
仕事がないのが田舎の現実かもしれませんが、そんな田舎だからこそ、若者の知恵と情熱と行動力で、自らが不毛の地に仕事を生み出していくということが何より重要です。
そして、そのパワーの源こそが「ふるさとを思う気持ち」なのであり、それを高等教育として実践している村岡高校は、一つのモデルケースとして、ぜひ文教委員会のみなさんにも理解してほしいところであります。
さらには、「学ぶ」という意味においては、高校で実際の授業を受けるのは、現役高校生ですが、高校生と触れ合う私達もまた、さまざまな学びを得ており、地域とはなにか、ふるさととはなにかと自問自答をする機会を得ているのです。
社会人の教育とは、大学院でMBAみたいなことが主流の世の中ですが、地域に学校があって、そこで触れ合う私達も、大学のMBA以上の学びがあるのです。
まだまだ「地域と学ぶ高等学校」は途についたばかり。
数年後、この取組が過疎化に悩む日本中の地域に夢や希望を与えるものであると確信しています。