昨日、宗教家の方とお会いする機会がありました。
最近、お寺に行くのがとっても好きです。
お寺の中にある凛とした空気は、なんとなく心が休まります。
そして、お寺によっても違いますが、だいたいが、お庭をきれいに手入れされていて、そういった花々を見るのもまた楽しいです。
うちは、真言宗の檀家であり、祖父母の葬儀もそうだったし、おそらく父母や我々もきっとお世話になることでしょう。
恥ずかしながら、結婚式は、キリスト教式で挙げたので、何の説得力ももちませんが、でもなぜこれほどまでに宗教が長く続いているのかいうと、やはり心の支えになるものだからでしょう。
私は、キリスト教の純然たる信者ではないのですが、結婚式であげたときに牧師さんが、
コリント人へのへの第2の手紙
愛は寛容であり、愛は情深い。 また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。
不作法をしない、自分の利益を求めない、 いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
その健やかなるときも、 病めるときも、 喜びのときも、 悲しみのときも、 富めるときも、 貧しいときも、 これを愛し、 これを敬い、 これを慰め、
これを助け、 その命ある限り、 真心を尽くすことを誓いますか?
このことはいまでも僕の生きていく上での一つの指針になっています。
よく、外国の方と話をされるときに、日本人が無宗教だというのを信じられないことだと思われるという話があります。
だから、無理やり宗教に入り浸れというものではないですが、すくなくとも、人間日々苦悩があるのですから、もっと気楽に宗教を受け入れ、素直にその教えは言葉に耳を傾けるということは必要なんじゃないかなーと思います。