今日の日経新聞の広告でこのような記事のくだりがありました。
『大学受験で、成功を収めるためには、まずは十分な勉強時間をさくことです。最難関大学に合格したような学生に話を聞くと、一日十数時間は勉強したといいます。休日に5、6時間程度の勉強では、受験勉強とはいいません
日本という国は、このところ競争がゆるくなっていますが、人生の一時期、やりたいことを我慢して勉強に時間を費やすのは悪くありません。それによって精神力が鍛えられ、厳しい時期を乗り越えたという達成感で自信もつきます。(『スマホで新しい学習スタイルへ』の記事より)』
何時間もハードな勉強をすることに異論はありません。そして、それによって得られる精神力、達成感、これも理解できます。
ただ、大学受験の成功のために…という部分にはどうも納得しがたいのです。
英語を例にとってみても、あれだけ、英語に時間を費やしながら、実際日本人がどれだけ英語を話せ、英語を理解できるのかと言われてもそう多くはないのが現実です。
受験英語と言われるように、本当に社会で役にたつための英語と、高校で学ぶ英語が乖離している気がしてならないのです。
もう一つ、大事なことは『何のために、なぜ学ぶのか』そのことをきっちりと理解できるようにさせることではないかと思います。
高校で学ぶことが、『大学に入るために』ということだけであれば、なにかとてもさびしいものがありますね。
「国の礎を支えるんだとか、みんなの幸せをつくるんだ」とか、そういう強烈な使命感みたいなものを動機づけとして学んでほしい。
人生は有限であり、失われた時間は二度と取り戻すことはできません。
あれだけの青春時代を勉強に多く時間を費やすならば、その時間も、人生にとって貴重な一ページであってほしいですね。